いわゆるジャコバン派がジャコバンクラブと対立して消滅させた

これはショッキングな見出しで、著者が狂ったのではないかと思うだろう。しかし正しいのである。もちろん条件があって、昔の教科書の書き方ならばというものです。つまり、ジロンド派対ジャコバン派の対立でフランス革命を展開するならばということです。
実際はモンタニヤールですよね。これを昔はジャコバン派と呼んでいたのです。さて、ジャコバンクラブは、モンタニヤールを支持していたと前回は書きました。これは間違いではないのですが、これを支持母体として固定的にとらえてはいけないということなのです。確かに支持母体ではあった。しかし、それはモンタニヤールが野党的存在で、権力に到達しえないときのことであったのです。
その時はいわゆるジロンド派がジャコバンクラブから脱退している。なぜか、権力をとり、すぐに腐敗、汚職が始まったためです。そこをジャコバンクラブで追及されたので、脱退した。ということは、ジャコバンクラブは腐敗、汚職、権力乱用に厳しいということであった。スクリュタン・エピラトワールというものがあった。清潔にするための投票というものであり、粛清投票といってよいが、今は粛清という言葉が、上が下を排除するために使う傾向があるので、そうではないという意味でこれは使わない。キリスト教にはピユューリタンの伝統があり、清廉潔白に生活をしようという伝統がある。こういう趣旨だと思えばよい。
他方で、権力をとったものは、とにかく腐敗をしたがった。今まで控えめに、つましく暮らしていても、権力機構に入ると、一日で人柄が変わる。フランス革命でもこの実例は多かった。ということは、モンタニヤールの議員も、権力と取ってからは、いわゆるジロンド派、その前のフイヤン派議員と同じことを始めたのである。
これにジャコバンクラブの多数が失望と怒りを表明した。対立がぎりぎりになった段階では、モンタニヤールの議員が釈明に来た時、「ギロチンへ」という叫び声を浴びせられた退場した。この時、ジャコバンクラブはロベスピエール派約10人だけを支持する団体に変わっていた。そこで対立は、国民公会対パリのジャコバンクラブとなり、モンタニヤールはジャコバンクラブを全滅させることに奮闘したのである。これがテルミドールの反革命であった。

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