いわゆるジロンド派とジャコバン派がそろって野党になった時期がある

このような言葉は、中学、高校の教科書で、「ジロンド派対ジャコバン派の対立」と習ってきた人たち、もちろん私もそうではあるが、まず全員にとって「びっくり仰天」であり、受け入れがたいものであろう。しかし事実はそうである。1793年4月から、同年6月までの短い期間ではあるが、相対立する両派を退けて、何が残るのかと質問してもらいた。そうすれば待ってましたとばかり「それは平原派だ」と答えることになる。左右両派を排除して、中央派が権力をになう、こういうことは議会政治でよくある図式であるから、驚くに値しない。
半年間は、いわゆるジロンド派の時代であった。厳密には、ジロンド派と平原派の連立政権であった。政党政治はまだ確立していない。ほどんどが一人一党主義、是々非々主義であった。その中にあって、ロランとブリッソを中心にまとまっていたいわゆるジロンド派が、何かと有利になっていただけのことであった。しかし、やがて、平原派の議員が慣れてくると、発言力も強まる。
ロランが内務大臣を辞任すると、後任に平原派のガラがなった。学者、教授、ダントンの友人、のちにロベスピエールを倒した後、公安委員会に入った。ナポレオンのもとでは貴族院議員になった。ロランの後任になると、自由主義経済政策を修正した。この中身を詳しくやりだすと、読者が退屈するであろうから、大まかな定義にとどめておきます。
ロラン派がいわゆるジロンド派の約半分を占めていて、あと半分がブリッソ派であった。このブリッソ派に対する批判がジャコバンクラブで行われた。
「ブリッソ派は何をしたか。彼らは金持ち、商人、大資産家の貴族政治を樹立しようとしたのである。これらあの人間が人類の禍であり、利己主義と欲望のためにすべてを犠牲にするような人間で…もし選ぶことができるなら、、旧体制のほうをとりたい。貴族と宗教家は多少の人徳があったが、これらの人間はそれすら持ち合わせない」。
ブリッソ派の本質を見事に表している。この集団は、ベルギー戦線の敗北、軍需物資調達を巡る大規模な汚職、軍事費の横領、兵士の士気低下の原因になったことを追及され、政権から外された。
この場合は、罷免、辞職ではなく、公安委員会を組織して、内閣をその下に置くという形で、平原派がブリッソ派を支配することになった。公安委員会といえば、モンタニヤール、ジャコバンクラブだと思っている人には、認めたくない事実ではあるが。
その後、財政委員会が組織され、独立した権限を持って、国家財政をジロンド派から切り離してしまう。
いわゆるジロンド派と平原派を分けるものは何か。共通点は、ブルジョアジー上層の代表者であることだ。相違点は、強欲資本主義か、常識的なビジネス一筋か、けちな金持ちか、儲けてもきれいに使う、あるいは一部を貧者に還元するか、国家の利益に反しても儲けるのか、国家の利益を優先しようとするのか、この違いである。これはどこの国、どの時代にもあることで、どちらが優勢になるかは時と条件によって決まる。

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