なぜサンマは目黒に限るのか。

舞台はどこか?意外に知られていない。

このテーマは落語で有名なので、意味を説明する必要はないでしょう。要点は、殿様が食べるサンマは油を落とし、骨を取り、安全第一の料理にしてあるが、目黒の庶民の家でふるまわれたのは塩焼きにした単純なもの、今の日本人が食べているものであり、これがおいしかったというものです。毎年、盛大なさんまのお祭りが開かれています。では場所はどこか。目黒のど真ん中だと私は思っていました。しかし、恵比須のマンションに来てみると、すぐそばに、「目黒のさんま」というのぼりが立ててある。「ああここか」と思った。ここなら、「目黒でもあり、目黒でもなし」というべきことかなと思いました。道をまたぐと渋谷区になり、少し歩くと、港区、品川区になります。その接点です。少し足を延ばすと、西郷公園というのがあり、西郷隆盛の弟西郷従道の別邸の跡があります。まあ、江戸時代の郊外という感じです。

さんまの鮮度はどうなるの?

魚は鮮度が命、特にさんまのみならず他の青魚、赤身の魚は、足が速い。そこはどうなる。目黒の山の中よりは、江戸城のそばの大名屋敷のほうが、鮮度の良いものを食べられるではないか。この疑問は数十年間持っていたものである。この疑問は、ここにきてパラリと解けた。ここのさんまは、江戸城のものと鮮度が同じとみてよい。鮮度が同じで、調理方法が違うから、目黒に限るのである。実は、恵比須の坂を下り切ると大通りがあり、そこに一軒新鮮な魚をウリにした食堂があった。「こんなところで何が新鮮な魚なんじゃ」。多少、山の中というイメージで見るところがあった。もちろん、これは現代の輸送手段の発達をカウントせずに、江戸時代を意識した判断です。「どうして、ここで新鮮なさんまが食べられるのか」。

目黒川の舟運のターミナル、そこが恵比須。

幟の立ててあるところから、目黒川に向かって坂を下ります。茶屋坂という。現代語ならラブホ坂となります。怪しげなる雰囲気です。今は防衛省、マンション群、下水処理場に囲まれています。目黒川に下りきると、水量豊かで、当時の船なら商品を積んで往来ができることがわかります。少しさかのぼると、川幅が広くなり、船着き場にふさわしい跡があります。これを見て、「なるほど」と思った。神田川の魚河岸、「一心太助」の物語を思い出した。つまり、江戸湾に入ってきたさんまの船が、神田川に入るのも、目黒川に入るのもほぼ同じ距離ではないか。ともに河川港で陸揚げする。そこに豪商が集まり、歓楽街ができる。そこに殿様が行った。目黒川はここから水量が減少し、船が浮かぶどころではなくなる。恵比須が海岸直結という扱いになる。だから今なお、それをウリにする店があるということでしょう。

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