テルミドールの反革命

テルミドールとは熱の月といい、7月の熱いころのことである。ヴァントウーズ法は風の月で、三月から七月の四か月で劇的に変化が起こった。その真ん中あたりで、ロベスピエールは公安委員会を欠席した。欠席中でも、同じ程度の処刑者の数があったと、のちに国民公会でも報告があったから、彼が欠席しても恐怖政治は進められていたことが分かる。
七月、久しぶりにロベスピエールは国民公会に登壇して大演説を行った。この直前、山岳派は反対するだろうが、平原派の議員は聞いてくれるだろうといった。これが致命的な誤解であった。
まず、山岳派の中の腐敗議員、カンボンの財政政策などを非難し、ヴァントウーズ法に抵抗している議員公務員を批判した。この演説がすぐに否決されたのではない。大喝采の中で承認された。ところが、次の日、登壇しようとすると、妨害された。カンボンが「名誉を傷つけられる前に、私も発言する」言い出した。それから議長席を巡って大混乱が起きた。短刀を持ってきた議員もいた。腐敗議員たちが死に物狂いになった。そのなかでロベスピエール逮捕の決議案が上程され、可決された。平原派はロベスピエールの味方ではなかった。十名の同志だけが逮捕された。これをジャコバンクラブの支配するパリ・コミユーン(市の議会)が武装勢力を率いて救出に来て、市の議事堂に立てこもった。そこを大群衆が包囲して守った。国民公会の側も武力を集めた。カンボンは富裕層の住宅街から、青年を集めて武装させた。両者にらみ合いをしていた時、バラ(バラス)が武装勢力を率いて急襲を加え、ロベスピエール派を全滅させた。バラは平原派のもと派遣委員、マルセイユ・ツーロンでナポレオンを引き立てた人物、当時はイギリス軍を撃退した功労者と思われていた。中級の貴族(子爵)、巨大な財産を手に入れた腐敗議員でもあった。平原派が勝ったことの象徴でもある。さらにフランス革命はどこまでいっても貴族の影がついて回るという意味もある。

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