フランス革命の全期間、ブルジョアジーの支配が続いた

こうして、ジロンド派が追放されても、ブルジョアジーの実質支配が揺るがない。押しのけられたのは、資本主義の中の、強欲資本主義、けち資本主義部分だけといってよい、それも、抵抗さえしなければ、そのままで、累進税を払えばよかったのである。ブルジョアジーの主流派は平原派の背後で、安定した支配力を行使した。それが個人的には、バレールの行動に代表されている。
これだけのことを証明するために、長々と論証を続けたが、いったい何のためにしているのか、目標を見失ったのではないかと思うので、一度本題に戻します。目標は明治維新です。つまり、我が国の革命です。これが我が国の市民革命だということを証明すること、そこに目標があったはずです。
1789年から1830年これがフランス革命です。日本の未市民革命は、1868年から、1871年までです。これが承認されたら、目的は達成されたことになります。
フランス革命ではオーストリアを中心とする大国の干渉があって、一度1815年にブルボン王朝の復帰、王政の復活があり、貴族政治が復活しました。それを象徴するものが、1830年の7月革命寸前の首相ポリニヤック大公です。フランス革命の引き金になったといわれ、「赤字夫人」といわれたポリニヤック公爵夫人の息子です。つまり、息子は親を超えて、大公になつていたのです。もし、7月革命がなかったとすれば、フランスは絶対主義、旧体制への逆戻りになっていました。したがって、フランス革命が市民革命として完結する期間は長いのです。
わが国には、打倒された幕府の権力を助けてやろうという外国の勢力はなかった。(全くないわけではなかったのですが)。そこで短いのです。
このようにいって終わりならば、話は早いのですが、「フランス革命には、ジャコバン派独裁という、反ブルジョア的な勢力が支配した時期があり、これがよその国とは違う」というような理論が盛んであったために、わが国にはそれがないからダメ、というような理論になりました。そこで私が、長々とそれに反論をしてきたのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA