世界史上の市民革命を科学的に見つめると。

いままでの歴史家は個別だけを研究してきた。

高等学校の世界史で、フランス革命は市民革命だと書かれている。オランダ独立戦争(ネーデルラント自由戦争)は市民革命の先駆とも書かれる。イギリス革命(ピュ―リタン革命と名誉革命)も市民革命と書かれるが、但し書きを書いて、「妥協的、不徹底」と書く人もいる。日本の明治維新は、「市民革命」という人と、「その前の段階、絶対主義だ」という人の、二つの意見に分かれる。私は、青年時代、この問題に直面して、「普遍と個別」の観点から正解を導き出せないかと考えた。

個別的性格は、目立つからだれにでもわかる。フランス革命は人民、オランダではカルヴァン派新教徒、イギリスでは、ピユーリタン、もし日本なら何かというと、「薩摩長州の下級武士団」というしかない。これだけを見ると、「なーんだ、ばらばらじゃないか」、「そもそも比較できるようなものではない」と、一蹴される。従来の歴史家は、ここだけを研究して、「イギリスはこうだ、フランスはこうだ」と論じるだけであった。この欠点について、私が林健太郎教授(東大西洋史学科、わたしの先生)に意見を述べたとき、「歴史というものは、個別的なものを深く掘り下げるものでしょう」と言われた。

普遍を研究するとどうなる。

もし普遍があったらどうなる。「どこにそんなものがあるのだ」という喚き声が聞こえてくるが、「あるのです」。特に、ロンドン、パリ、アムスステルダム、東京の中心街に行けば、「これだ」と指でさすことができる。「経済界の中心、実業家の集団」です。今とは違って、当時のこの勢力は、銀行家、大商人の集団でした。これなら普遍性があるのではないか。国家、民族は違っても、「儲けること」は同じでしょう。「損をして、実業家ではありえない」。この勢力は、市民革命の時どう動いたのか。

これを研究するのは、政治史ではなく経済史である。そこでいつの間にか、経済学博士になってしまった。フランスと日本の実業家集団について、誰もできないほどの膨大な事実を集めた。もちろん、イギリス、オランダ、ドイツ、中国の実業家たちのことも調べた。彼らが市民革命の時にどう動いたか、これを調べた。

実業家の動向が、市民革命の本質を物語る。

そうすると、今までに知られていなかった、実業家集団の動向が見えてくる。基本的には、献金を通じて、背後から、革命家たちを動かす。これが普遍的性格。自分が武器を持って戦うのではない。金銭の提供で革命運動を支える。日本ならば、倒幕運動に資金を提供する。一般的には、新政権が成立すると、その後ろ盾になる。

これが一般論で、後は、誰が誰と結びついたかは、個別的な実証になる。、それも多く見つけてきた。というわけで、市民革命の普遍的性格は、「実業家集団の権力到達」ということになり、この一本の糸を見つけると、明治維新はフランス革命と同じ水準のものであり、市民革命の「市民」というのは、実業家集団のことであると理解してもらえばよい。もともと、「市民」の語源はドイツ語の「ビュルガー」である。「大商人、親方、宿屋の主人」などであり、使われている人はビュルガーではない。

歴史の中に、普遍的性格を見つける、それが科学的歴史観だと思っている。

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