中間層の革命理論・高杉晋作、坂本龍馬、西郷隆盛にその芽をみる。

高杉晋作は、佐幕派の藩政府を倒した後、幕府との戦争に備えて武備充実を図るとき、費用の問題に触れ、「無用高位士の禄を削ぐほか無からむ」と書いた。この伏線としては、「肉食の士人、みな事に耐えず」という観察である。これは、外国軍の攻撃に際して、豊かな上級武士が戦闘では役に立たなかったことを評価した言葉であった。当時は豊かな上級武士だけが肉を食べ、それ以下は魚だけを食べるしかなかったという事情の下でなされた発言である。現代ならば、肉食のほうが馬力が出るはずではないかという疑問が出される。そういう問題ではないと思ってもらいたい。肉食の馬力はあっても、臆病であったり、武術の鍛錬不足であったりすると、戦闘では物の役に立たない。当時の上級武士の多くがそうであり、それでいながら、最高の贅沢をしていたのである。
そこで、上を切って下を救うという中間層の発想が出てくる。彼の家は150石取りの中級武士、このあたりが目安だというのは、明治維新以後、武士の禄を250石にまで引き下げ、さらに3割3分の税金をかけたからである。削減された上級武士の上は、9000石取りの旗本から始まり、3000石取り、1000石取りなどと、ピラミッド型に広がっていく。長州藩でも、1万石取りの上級武士が3人いた。これも250石取りにされたのである。こうした改革は大久保利通を中心として推進された。
坂本龍馬は、幕府の役人が、民の暮らしに関心を持っていないと批判し、「この一言でも幕府を倒さなければならない」といている。これも同じ発想で、上を切って下を救おうというものである。
西郷隆盛が討幕以後薩摩藩で行った改革もその線に沿っている。武士階級を中級武士程度にそろえて、貧富の差が出ないようにした。中間層の理想が実現したかのような瞬間であった。

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