二十一 ナポレオン、ユダヤ系銀行家、商人

ナポレオンは早くから、マルセイユの有力商人と深い関係にあった。兄はそこの娘と結婚していた。自分もその妹と婚約にまでいった。その意味では、純粋貴族ではなく、ブルジョア貴族の入り口にあった。じつはフランス革命の本来の目的はこれであった。つまり、貴族独裁から、両者手を携えるという程度の変革が期待されたのではあるが、旧勢力の頑強な抵抗があったので、戦いが激烈を極めたというのが、先回りした結論になる。次にユダヤ系銀行家のことであるが、私はある縁でユダヤ系銀行家の最大といわれるロートシルド、フランス語読みでロチルド銀行の重役に紹介され、本店に招かれた。「ここは戦略の中心部です」という部屋にも案内されたが、そこでは役員が働いていた。「誰にも見せないところですが」という言葉がついいていた。「いったいなぜ私を」とききたおところであったが、帰りに資料をもらい、これを使って後日この銀行の経営史を論文に書いた。
なぜそこまで好意的なのか、これが分からなかったが、後日ハットひらめくことがあった。
フランス滞在中に、よく「あなたはユダヤ人ですか」と聞かれました。ある人は非常に執拗であった。「ノン・ジャポネ」「いや日本人だ」これくらいの迫力で
いいかえす。しかし相手も引かない。「日本人は分かるが、日本人のユダヤ人だろう」。「日本には日本人しかいない」、「いやそんなことはない、ユダヤ人は全世界にいる。ハバロフスクにはユダヤ人自治共和国がある。すぐそばじゃないか」。ここでわたしはぐっと詰まった。とにかくユダヤ人としての外見を持っているらしい。「そういえば、あの重役も私に似ていた様だ。背の高さも同じくらい、黒目、黒髪、だから好意的だったのではないか」、こう考え始めたとき、私がボナパルト君と似ているのだ、このように思うと、ナポレオン・ボナパルトとユダヤ人銀行家の関係は、あのようにあっという間にできあっがてしまったのではないかと想像し始めた。
そうすると、残るところ、その遺伝子を持った祖先はどこからきたか、想像だけでもしてみたい。シベリアからはあり得ない。南蛮人はどうか。これでもないだろう。先祖としては室町時代の墓もあったからだ。残るところ、古代の帰化人か。ある時、播州赤穂が秦氏の支配下にあったということを知った。これではないか。これを「はたし」と読むが、太秦とはローマ帝国のことである。唐の都長安に太秦寺があり、太秦景教流行の碑がここで発掘された。つまりローマ帝国のネストリウス派キリスト教の信者が迫害を逃れて東に動き、長安まで来たのである。景教の僧、つまり牧師が日本に来たという記述もある。ほとんど知られていないことだが、弘法大師空海が長安でこの景教の指導者と親交をもち、共同で密教経典を翻訳しようとしたが、なぜか帰国後は一切口にしなかった。このことは外国には知られていて、外国人が、この碑のコピーを高野山に作ったという。この景教の指導者は浄海というが、アダムともいう。これで事の本質は分かる。つまりこの集団にユダヤ人の遺伝子があるのではないか。じつは、わたしの母が、赤穂の地元の武士の家系であったと聞かされている。これで「ははあ」と思った。また私の妻の実家が空海の母方の屋敷跡で、そこに空海の母阿刀玉衣・あとたまよりの木像があった。高野山ふもとの九度山に行った人である。この一族も帰化人だといわれている。実に不思議なめぐりあわせである。こういう縁を持った人物がボナパルト論を書いていると思ってください。

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