二十二 ジャコバン派独裁は無かった

フランス革命史では、ジャコバン独裁、山岳派・モンタニヤール独裁、ロベスピエール独裁、公安委員会独裁などという言葉が出てくるが、すべておどおどろろしい印象を与える割には実体がない。これもボナパルテイズム論と同じく、市民革命の解釈に対して誤解、混乱を招く。だからこれを訂正しなければならない。まず、ジャコバンはクラブの名前で、議会の党派の名前ではない。これにたいおうする党派は、モンタニヤール・山岳派と呼ばれる。議会の小高い場所に陣取ったから、このあだ名になった。約150人で、その反対側にジロンド派と呼ばれる議員の集団が陣取った。この派は当時「ブリッソ」の党、「ロラン」の党と呼ばれていて、ジロンド派という言葉は後世につけられたものである。これも約150人であった。その真ん中に約400人の議員がいて、これが「平原」とか「沼、沼沢」と呼ばれていた。これに派をつけて呼ぶには、ためらいが出てくる。なぜなら、まとまりがないからである。「一人一党主義者」の集まりというべきである。普通のフランス革命史では、これを信念のない、ふらふらした日和見主義者のように書くけれども、実際に議事録を読んでみると、そうではない。よく発言している。最終的にこの400人が生き残り、ジロンド派は半減し、山岳派はほぼ全滅した。平原派が万年与党であり、最終的な勝者だといってよい。
それでも、1793年ジロンド派を追放した後、政権は山岳派の手中に入り、いわゆるジャコバン政権となり、独裁を許したのではないかと反論されそうである。そうではない。議会から、正式には国民公会から三つの委員会を選出し、これが臨時行政機関・内閣を指揮するものとした。つまり、委員会が大臣で、今までの大臣が次官に格下げされたようなものになった。三つの委員会は対等で、これをたばねる首相の地位はなかった。公安委員会、保安委員会、財政委員会であり、前二ryは誰でも知っている。しかし財政委員会を知る者はいないのみならず、これを取り上げる歴史書もない。つまり、財務省のない政府というものを論じているのである。そして、財政委員会こそは平原派から選出されたのであった。これをどう見ますか。続きは後で。

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