何事にも科学的であろうとする努力

普遍は個別の中にある。

17歳のころ、東大受験を目指す少年でありましたが、合格した後は何をしようか、学問、芸術の世界で何か偉大なことをと考えていた時、哲学の本、ヘーゲルの著書だと思いますが、「普遍は個別の中にある」という言葉を読んで、その前後の内容に深い感銘を受けました。つまり、この世のなかにあるすべての事物には相違点と共通点があって、一見すると何が共通点か、何が相違点かわからないので、これを識別することが科学の発達というものであるという意味です。普遍と個別、共通点と相違点、具体的と抽象的、などなどの言葉で表現されるでしょう。

ミステリー小説の中にその精神がある。

哲学などどいいだすと、「頭が痛くなる」と言われそうなので、身近なもので説明をします。小説に限らず、テレビなどでも花盛りのミステリー物、探偵もの、時代劇など、「犯人はだれか」がテーマになります。一見して、ばらばらの犯罪、「悪い奴はだれかわからない」、これが「個別」です。しかし、名探偵、敏腕刑事が出てきて、「個別」の中に「普遍性」を見つける。普遍性さえ見つけると、犯人にたどり着ける。「普遍」と「個別」の識別に失敗しているのが凡人であって、凡人の刑事が百人いても、誤認逮捕を繰り返すというわです。科学の中では、こうした「ばらばらの現象をつなぐ一本の糸」が法則として確定される。これは大きな功績になる。「将来、何かこういうことをしたいな」というのが夢になりました。ただし探偵になりたいとは思わない。今は勉強をしているのだから。

新型コロナウイルスについて、個別と普遍を論じると。

まずウイルスとしての普遍性、共通点がある。大きさが細菌とは違う。ウイルスという共通点の中に、コロナという相違点がある。太陽のコロナのようになっている。この共通点を持ちながら、様々な相違点を持つ。感染の距離が違う。初めは1メートルと言っていた。これは今までのウイルスの常識から言われたもの。つまり距離の普遍性は1メートル。しかしすぐに1メートル50になった。このころ、握手禁止となる。しかし代わりに腕をぶっつけたり、足を触れたりして、握手の代わりにしていた。距離の常識はすぐに変わり、1メートル80、次に2メールになって現時点に至っている。もはや腕をぶっつける人はいなくなった。ウイルスの一般的性格からすると、距離は1メートル,しかし新型コロナウイルスの特殊性、個別性からすると2メートルとなり、この点は独特の相違点になる。もし人類がこの点について正確に個別と普遍の識別能力を持っていたのなら、はじめから「新型だから2メートル」となり、多くの命が救われただろう。このように、個別と普遍を識別する能力を持った人が存在するとすれば、大勢の人を破滅から救う時がある。

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