十七 ボナパルテイズム論という大間違い。

前回にかいた財界の分裂について、その大先輩というべきものがフランスにあった。ナポレオン・ボナパルトの名を取って、ボナパルテイズムという。事の起こりは、甥のルイ・ナポレオンが1848年2月の「2月革命」のあと、クー・デターで権力を握って、議会を解散し、独裁権を獲得し、のちに帝政を実現したことに始まる。これについて、同時代のマルクスが論文を書いた。ナポレオンの支柱は、軍隊の中核を構成する中産階級としての農民だという。フランス革命で利益を得た勢力だともいう。このとき、資本家陣営と労働者階級は相戦って、どちらも決定的な勝利を収めるには至っていなかったともいう。それほど事態は流動的であった。その時、中産階級を足場として、両者と戦い、武力で権力を握る。ナポレオン・ボナパルトと同じだというのである。こういう権力が出現することはありうるというのである。このとき、マルクスが科学的歴史観を提唱していたから、マルクス主義全盛期になると、ボナパルテイズム論が歴史解釈の中枢に据えられることになった。
しかし、これは彼の自己矛盾だと私は思った。彼は階級史観を説いている。中産階級の権力はを主張することは自己矛盾を起こす。それが本当に事実ならばそれでよいが、そうではなくて、ルイ・ナポレオンの背後にフールという大投資銀行家がついていたのである。かれはナポレオンのもとで財務大臣になり、任期なし、の実力大臣であった。たしかに、ロテイルド・ドイツ語読みでロートシルド、英語読みでロスチャイルドという最大級の投資銀行家がいて、かれは反ナポレオンであった。両者は冷たい関係になったが、十数年のちに和解した。これを見ても財界の分裂が証明できる。ボナパルテイズムもまた、動産支配者の一つの権力であった。この点マルクスは十分にマルクス的だはなかったといいたいのである。

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