国民公会の中間派に注目するべきである、これこそフランス革命の万年与党

このようにはっきりと声を上げたのは、私が初めてであります。それも、約60年前のことです。当時は、ジロンド派対ジャコバン派の対立、これが学問の世界と文学、小説の世界で花盛りでした。社会科学の分野では、ジロンド派がブルジョアジー、ジャコバン派が中小ブルジョアジーまたはその下、を代表すると定義されていた。
しかしこれではジロンド派が没落し、次にジャコバン派が粛清され、何も残らないではないか。それはナンセンスだ。そこで、間に中間派があったと言い出した。それは正しい。しかし扱いがよくなかった。この集団を能動的なものとみなさず、極めて受動的な、ろくでもない集団のように扱った。実際に、革命の当事者が、「沼の蛙」といった。バカにしていたわけです。
正確な状態を言いましょう。小高い議席に陣取ったのが、いわゆる「ジロンド派」であった。約160名、当時は今のような政党があったのではない。なんとなく気の合いそうなものたちがまとまっただけ、「党員数が何名」と数えるような時代ではない。だから約です。
いわゆるジャコバン派、正確には「モンタニヤール」は反対側の高い議席に陣取った。低いところから見れば「山」に見える。当時は「あだ名」をつけることが盛んで、山をモンターニュといったのです。これが約150名。反対派とほぼ同数です。
真ん中の低いところに、約400人が座った。そこでこれを「平原」プレーヌと呼んだ。もう一つ、マレつまり沼とも呼んだ。そこで日本語に翻訳するとき、平原派、沼沢派ともいう。ここに一つの誤解の種がある。派をつけて呼ぶと、意見が一致しているかのように思える。実は意見がばらばらで、一人一党主義、是々非々主義、日和見主義、ご都合主義、順応主義なんでもあるわけです。
そこで数は多いがまとまりがない、強い方になびく、ろくでもない群衆というので、蛙などと呼んだ人もいる。長らく歴史家もそのようにみていて、大したものではないという書き方をしていた。果たしてそうかと思いだしたのが私です。
国民公会の議事録を読んでいた時のこと、意外に平原派議員の発言が多い。発言内容もなかなか勇敢なものもある。さらに、いわゆる「ジャコバン派独裁」の時代に、財政委員会議長カンボン、同委員にカンバセレスを出し、しかもこの委員会は独立していて、公安委員会とは対等であることを知った。なーんだ、財務省、大蔵省を平原派がとっているじゃないか、「これでジャコバン派独裁といえるのか」、こうはっきり思い、それを世間に発表したのは私が初めてです。
さらにカンバセレスに注目し、彼が第二統領として、ナポレオン法典の実質的な責任者であり、革命前から大工業の所有者県経営者、法服貴族であったことを突き止めました。これすなわち、フランス革命の万年与党ではないか。
何処まで行っても、フランス革命はブルジョアジーの革命であり、かつ貴族の政治家、官僚の協力を伴う、このような解釈と観察眼をもって、我が国の明治維新を見るべきだはないか、そうすると、明治維新がフランス革命と同じものだということができるのです。

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