国民公会の党派、ジロンド派対ジャコバン派で説明するのは古くて、間違い

ヴァルミーの会戦、9月20日、この日に国民公会が招集された。これが新しい権力機関になる。今まで暴れまわったパリ・コミューンは、国民代表に従うと表明した。マラーは,これ以後新しいコースをとると表明した。マラーとタリアンは議員に選出された。こうして今後約1年間は、国民公会が名実ともに最高の権力を握ることになった。
行政機関としての臨時行政会議は、国王を持たない内閣で、首相もない。それぞれの担当大臣が命令を出す。それを国民公会が黙認しているような状態であった。
その国民公会であるが、この説明が古くから、でたらめ極まるものになっていた。だからフランス革命が誤解される。それを今から一つ一つ解説していくが、これについてくるだけの頭をもつ人がどれだけいるのか、その点に私は自信がなくなるのである。つまり、高等数学を子供に分からせるようにしゃべる、しかしわからせる自信はないと、数学者は思うであろう。これと同じことである。本では書けないけれども、ネットだから書きました。何とか理解してくださることを期待します。
さて、古くから、ジロンド派対ジャコバン派の対立と書かれてきました。私が中学校の教科書で読んだのもこれです。しかしジロンド派という呼び名は正確ではない。これは、フランス革命から数十年たってからつけられた、あだ名のようなもので、フランス革命当時では、ブリッソの党派、ロランの党派、と呼ばれていた。この違いだけでどれだけのイメージが違ってくるか、これが問題です。ジロンドというと、ボルドーが中心、スペイン国境に近い大西洋側、ジロンド川をさかのぼったところにある。ワイン、ボルドー酒の輸出基地、豊かな貿易商人の多いところである。
彼らの代表者が選出されてきて、華々しく活躍したので、ジロンド派の名がついた。しかし実名を言うと、日本人は知らない人たちばかりです。日本人のフランス革命史家でも知りません。ジャンソネ、ヴェルニヨー、ガデ、グランジュヌーヴは弁護士またはそれの卵、ボワイエ・フォンフレード、デュコは本人達が大商人、大船主、繊維の大工場主であった。
しかしこれをもって全フランスの代表とするのは無理がある。地方の大商人ばかりだからである。また、銀行はどうなる。ボルドーに大銀行、これはないのである。やはりパリでなければならない。パリというと、ブリッソの党派となる。彼が銀行業界の代表者であることは、一般に認められている。しかも、スイスから来た銀行家のクラヴィエールが財務大臣になっている。
内務大臣ロラン・ド・ラ・プラチエールは法服貴族の父と、本来の貴族の母を持っていた。つまり、ブルジョア貴族と純粋貴族の融合であり、日本的にいうと、商人が「名字帯刀を許された」として、妻が純粋の武士で、その間に生まれたものということになる。ロランは領地も持つていた。旧体制の下でマニュファクチュア検査官の官職を持ち、そのまま新体制でもリヨン絹織物業界の代表者になっていた。パリの彫刻家の娘と結婚して、ロラン夫人のサロンは特に社交界で有名になった。各地から集まるいわゆるジロンド派議員が出入りした。
こう見てくると、固定的にジロンド派と呼ぶのは誤解を招くので、「いわゆるジロンド派」というのが正しいことになる。そして、その背景は、ブルジョアジーの本流といってよい。

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