宗教と科学の接点3。

密教部分は文字にされてもわからない。

密教の一部が文字になって外へ漏れることがある。隠そうとすると、それを見せてあげようとする親切な人も出てくる。これは世の常。しかし、親切ではあっても、暗殺団は怖い。そこで、すれすれのところで書く。いわゆる「暗示、ほのめかし、伏字、隠語」の類です。それの最大のものを言いましょう。「観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空」、般若心経の出だしです。次いでながら、これはアメリカ人の間でも有名で「ハート・スートラ」といいます。ハートは心、スートラは経典です。「心」はこの場合、要約、要点の意味です。それにしても、この中に密教部分が入っているとは、誰が思いますか。それがあるのです。「行深般若波羅蜜多」です。何の「行」をしているのですか。これに答えられる人が、日本の中に何人いるでしょうか。これほど一般的な物の中に、誰にも知られていないものがある、これが密教の特徴です。

頭面接足礼という密教部分。

これは勝幔経の冒頭に書かれています。そこに参列した全員がこのお辞儀をしたというものです。どういうお辞儀か、これに答えられる人は、数千、数万人いるのではないか。特に財界人にいるといわれています。ただし、正しく実行できるとなると、10人くらいになるでしょう。あとは物まね程度、それでも健康効果はあるといわれています。

愛縛という密教部分。

理趣経という経典がある。この中に、「愛縛清清句是菩薩」(あいばくせいせいくしぼさい)というものがある。何を言っているのだ。平安朝の貴婦人たちが好んで口ずさんだものと伝えられる。意味は分からない。この経典について、空海と最澄が激突した。何も知らない人たちは「高層でもけんかをするのか」というくらいの目で見るが、そうではない。これではわからないから、「これはこれだ」という解釈学のようなものを見さて呉れと、最澄が頼んだところ、空海が「見る人によって誤解を生じるから」という口実で断った。当時、空海だけが持っていた「理趣釈経」のことである。ここにも、密教をめぐる高僧たちの大喧嘩の原因を見ることができる。これはど、密教の伝授は難しいものである。

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