宗教と科学の接点6愛縛とはなにか?

最澄、空海激突のテーマ。

理趣経という経典が、平安時代にはすでに入ってきていた。何やら怪しい気配がするというので、

一時は仏典ではないのでは?という意見もあった。読んでもよくわからないという部分があった。

空海が理趣釈経を持ち帰ったので、わからないところがわかるだろうと思い、最澄が借入を申し

込んだ。ところが、「これは見る人によって、誤解を生じるので」と言う理由で断られた。最澄

は激怒した。「なめるな」というわけだ。弟子に悔しさを伝えたのだろう。高弟の円仁、円珍が

密教を求めて入唐した。このうちの円珍は空海の甥、天台宗の座主、密教優位を説き、のちに三

井寺の祖になる。これほどの大問題を起こした語句は、「愛縛清清句是菩薩位」(あいばくせい

せいくしぼさい)であった。宮廷の貴婦人たちがよく口ずさんだものと言われている。

女性の役割が見え隠れする。

愛に縛られているものは、清らかなもので、菩薩の水準に達する。正面から読めばこうなるとこ

ろ。しかし、そんなイージーなものではなかろう。ただ言えることは、ある種の修行の頂点には、

女性の影がちらつくというのではないか。そういえば、お釈迦様が悟りを開かれたとき、村の娘

が牛乳粥を差し出したとの説話が残っている。おかしいと思わないか。夜どうしの修行、暁の明

星、修行の成功、その現場に若い女性がいる。しかも、牛乳粥まで用意している。これは用意さ

せたのだろう。ということは、上流階級の女性、部下に食事を作らせ、お釈迦様が成就する過程

を見ていたというか、知っていたということになる。いったいこの女性はどういう役割を果たした

のであるか。そういえば、キリストにも女性がいたらしいではないか。レオナルド・ダ・ヴィン

チも最後の晩餐に書き込んでいる。つまり古代の宗教指導者には、女性がついていたのだ。

愛縛の本当の意味

実はこの意味するところが、仏像になって残されている。では見に行こうなどといっても、おいそれ

とは見ることができない。「秘仏」におなっている。まあそこのお坊さんと親しくなり、内緒で見せ

てもらうしかない。日本では見られなくなったが、インドの美術としては、日本でも展示されている。

つまり男女抱合の像である。これで何が問題であるのか。それは何も言えない。空海のように、「見る

人によって」、誤解が生じる。その内容はヨーガ根本経典に書かれている。「なるほど、ここまで行け

ば人体はこうなるのか」、これが密教の極致か。宗教的能力を科学的に説明されたような気がした。

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