小林良彰(歴史学者、東大卒)のフランス革命論、ブルジョアジーの権力に大貴族が協力した

いわゆるジロンド派政権は、ブルジョアジーの政権であった。1792年の夏から93年の夏に至る一年間のことになる。これは誰もが認める真理である。ならば、ブルジョアジー一色であっただろうなと、暗黙の裡に思うだろう。この先入観が、他国と比較するときに誤解を生む。特にわが日本との比較になると、「日本では下級武士出身の官僚が支配し、明治維新の初期には、旧大名、公家が権力に参加した。これこのように古い体質が残っている」。これで議論が打ち切りになる。そこで、「あれ、フランスでもそうだが」と私は言いたい。
まず内務大臣ロラン・ド・ラ・プラチエールが法服貴族であることは前にも書いた。
コンドルセ侯爵有名な思想家、ヴォルテール学派の学者であり、国民公会の書記に選ばれた。この段階では、彼の存在が国民公会に名誉を与えたといわれた。
イザルン・ド・ヴァラデイ侯爵も名門貴族であったが、国民公会ではいわゆるジロンド派と行動を共にした。
シルリー侯爵はルイ15世の外務大臣の甥という権力に近い人物であったが、国民公会では、いわゆるジロンド派に参加していた。彼の妻はジャンリ伯爵夫人、マダム・ド・ジャンリという名で、文筆家で有名であった。
最大の協力者は、オルレアン公爵家であった。王族で、最大級の大領主であった。この段階では公爵の名を捨てて、「平等」だと称していたので。「フィリップ・エガリテ」と呼ばれた。日本では「平等公」を訳しているが、正確にいえば平等だけする必要がある。日本に例えていえば、御三家の徳川の藩主が新政権に参加したようなものである。この息子のルイ・フィリップがジロンド派将軍デュムーリエと協力し、ベルギー戦線に出動し、のちに外国に逃亡するが、ずっとのちの七月革命でフランスの王になった。
つまりフランス革命でも。常に貴族、前時代の一部の影が見えるのである。

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