小林良彰(歴史学者、東大卒)の西郷隆盛論、クロムウエルと比較する

まずは共通点を。市民革命の指導者として、動産の所有者の上層(この場合大商人、金融業者)と、様々な武装勢力の同盟を一人で代表する。撃破する相手は、大土地所有者の上層、大領主、正し支配するための形式は違う。実質は同じ。
撃破する相手は、日本では、幕府軍(徳川本家の旗本、御家人、旗本八万騎というが、実質三万程度)(当日の参加者はもっと少ない)と、最も特権的な地位にあった会津、桑名の藩兵であり、国際用語でいうと、日本貴族の最上層というべきものであった。
イギリス国王が代表するものは、領主、ランド・ロードの最強の部分、日本人になじみのあるものといえば、バッキンガム公爵、スペンサー伯爵(ダイアナ妃の実家)、サンドウィッチ公爵、ノーフォーク公爵、イギリス革命寸前の実力者は、ストラフォード伯爵(首相、ロード(財務大臣、カンタベリー大主教、教会は大領主)、革命前の強権政治を、ロード・ストラフォード体制という。
日本では、短期決戦で勝負がついた。負けた側は再び反撃するだけの能力を失った。イギリス国王は、ほとんど無傷の状態で撤退し、支持者の貴族を集めると、またロンドンを攻めた。ロンドンの中では負けるが、農村部と地方では強いという図式が出来上がった。だから、イギリス革命では、革命の出発点が頼りないものであって、いつひっくり返るかわからないと思われていた。「我々が99回戦って勝ったとしても、国王は国王であるし、一回負けるとしばり首にされてしまう」という悲観的な言葉も残っている。その点、日本では古代天皇制の復活という大義名分があったので、革命の側は意気盛んであった。
ロンドン、議会の中からクロムウエルが急速に頭角を現す。身分の低い地方貴族、しかし周辺の富農の若者を集め、騎兵隊を養成し、歩兵、砲兵を組み合わせて、ニューモデル軍を作った。これに、ロンドン大商人を代表して、議員のピムという人物が協力した。クロムウエルの騎兵隊はピューリタンの信念で理論武装されていて、「鉄騎兵隊」と呼ばれるほど勇猛果敢な集団になった。こうなると、国王を超える、神のご加護を背景にする集団ができた。その源流はスイス・カルヴァンの宗教改革から来る。こうなると、イギリス革命は宗教戦争の様相を呈してきた。これは強い。
ネースビの会戦で国王軍を撃破して以来、議会側がほぼ全土を支配することができた。しかし、クロムウエルは議会の手下になったわけではない。上院を廃止し、下院でも粛清を行い、実質的な独裁政権を作り、全国の権力は軍隊の将校が動かした。下級貴族の集団が権力の指導権を握ったといえる。1653年ロード・プロテクターの称号で、独裁者になった。これは古代ローマの「護民官」(ガイウス・グラックスの伝統)、日本では「護国卿」と翻訳する。国王にといわれたときに断って、こうしたのである。
しかし、5年後、彼は死ぬ。インフルエンザといわれているが、消耗しつくしたのかもしれない。死後すぐにクーデターが起こり、国王に融和的な長老派が権力を回復し、チャールズ2世を迎えて、復位を決定する。これが王制の復活であり、日本のいわゆる「王政復古」とは違う。日本では革命政権が、古代天皇制の復活と称した。革命で敗れたものが復活したという例は日本にはない。ところがこのレストレーションという言葉を、日本の明治維新に当てはめて、メイジ・レストレーションというから、国際的には、相互理解が不可能になってしまってる。
大商人と下級貴族の一時的同盟が分裂する。その時、クロムウエルは死んだ。西郷隆盛は生き残った。生き残るとどうなるか。答えは出ているだろう。
日本にもクロムウエルのように死んだ人もいる。小松帯刀、高杉晋作、坂本竜馬、中岡慎太郎、こういうところがそれになる。これは永遠に考えさせられる問題です。

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