小林良彰(歴史学者、東大卒)の西郷隆盛論、商人の討幕・続の続

三井の主人にはもう一つの動機がある。寛政の改革の時、ぜいたく禁止令に違反したというので、手錠をかけられたことである。これは権力が幕府にあったから起こったことで、権力を持たない悲しさを思い知らされた事件であった。同様の思いが薩摩藩にもあった。藩財政が豊かであると幕府に思われると、大規模な土木工事を命じられた。この悲惨な状態は語り伝えられている。こうして、三井と薩摩には、幕府に対する恨み骨髄が残り、幕府が続く限り、いつまたそのようなことになるかもしれないという恐怖を持ち続けていた。
次に、幕府軍が大坂に退いてから起こった特殊な現象がある。将軍徳川慶喜は会津藩主など少数の部下をつれ、外国の軍艦に乗って江戸に帰った。幕府の軍人・ほとんどは旗本には軍資金がなかった。これでは江戸へ帰ることもできない。そこで、「金は天下の金なり。押し借りなり」といって商人から金を奪い、借用書だけを残して去った。天下というのは幕府の意味を持つ。これで大阪商人は一気に反幕府の立場に立った。新政府はこれを補償するといったので、大阪商人は挙げて新政府支持に回った。
前に戻って、討幕運動が地方に散在していたころ、その地方の商人の中で志士を守ったものがいた。これが侠商と呼ばれた人たちで、今思いつくだけでも、かなりいる。下関の海運業者白石正一郎、長崎の密貿易女主人大浦のお慶、博多の対馬問屋石蔵屋卯平、薩摩の海上王浜崎太平治(この四天王の一人に川崎正蔵がいて現在の川崎重工のもとを作った)、讃岐丸亀の小橋安蔵、桂小五郎(木戸孝允)をかくまった但馬出石の商店主・金物屋などが思いつく。はじめはわずかな商人の支持、それが大きなうねりになって、商人の権力へと成長した。

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