小林良彰(歴史学者、東大卒)の西郷隆盛論、討幕戦をアメリカ革命に例えると

討幕戦で西の商人国家東の大土地所有国家に分裂した。同じような経過はアメリカ独立革命にもみられる。1775年4月19日レキシントン、コンコードでイギリス軍と地元の住民の戦闘が始まり、翌年の3月17日ボストン港からイギリス軍を撤退させて、実質的な独立を達成した。
ボストンを州都とするマサチュセッツ州の新知事にジョン・ハンコックが就任した。この人物が新政府の商人的性格を見事に表現している。貿易商人、造船業者、しかしイギリス当局からは密貿易商人とみられていた。イギリスは当時東インド会社に貿易独占権を与えていたからである。ハンコックが輸入した商品が、イギリス当局に差し押さえられたことがあった。彼はボストン茶事件その他の反抗運動の財政的支援者となり、イギリス当局から追及され、内陸に逃げた。
第2回大陸会議の議長となり、独立宣言に最初に署名した。その直後、ジョージ・ワシントンが大陸軍総司令官に任命された。ワシントンは中部地方のヴァージニア州出身、中土地所有者で軍人経験者、彼が北部のボストンにやってきて、様々な民兵を正規軍にまとめ上げ、この兵力でイギリス軍を撃退してボストンを解放した。ハンコックは州知事に就任して死ぬまで続けたが、まだ連邦政府がないころであるから、実質的に小国家の独裁者のようなものであった。日本語で知事を訳すが、英語ではガヴァナーで、独立前の名も、同じ発音であるから、総督といい、知事というがどちらも同じものである。
そうすると、新政権は大商人と中土地所有者から小時所有者の武装勢力の同盟、これで南部のイギリス側との戦争を続けることになったといえる。対するイギリス側は、大土地所有者の集合体であった。この点が日本ではほとんど意識されていない。ボストンには、昔の豊かな王党派の屋敷跡が残っていて、これが一つの歴史的遺跡になっている。州内の大土地所有者が、州都ボストンに集中して住み、これがイギリス国王に忠誠を誓っていたのである。これが植民地支配の足場であった。だから、独立は、王党派の権力を破壊し、商人の権力に変えたことになる。つまりは市民革命であり、討幕戦と同じ効果を持つのである。

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