小林良彰(歴史学者東大卒のフランス革命論 初期一年は極めて穏健

フランス革命は徹底的、急進的、過激の印象を持たれているが、実際に時期を追って調べてみると、他の国の革命よりも進行が遅いように思われる。バスチーユ占領の効果といえば、内閣の水準を1789年7月11日に戻しただけであって、その中心は財務総監ネッケルの復職にあった。他の大臣もこれと連動した。つまり、旧体制、アンシャンレジームの行政権はそのまま居座っているのである。これが約1年間続いた。これを他国と比較するとどうか。イギリス革命では、国王と側近が西北に退去したので、行政権が二つに分かれた。アメリカ独立では、イギリス国王のものはない。日本では、幕府の官僚は江戸に、新政府の官僚は京都に、それぞれまじりあうことはない。
フランスでは昔の儘を残しながら、立法権としての国民議会で改革が議論されている状態が続いた。その国民議会でも、出発点では第三身分代表は約半数、亡命者が出たので多数派になっただけのこと、まだ抵抗する力も強かった。人権宣言、封建的特権の廃止など、威勢の良いものを発布した割には、財政改革では停滞したままであった。
約一年後までに、国民議会多数派の発言力が強まり、ネッケルが辞職し、ネッケル派の大臣が辞任した。代わって、ルクツー・ド・・カントルーの指導権が発揮され、旧体制の役職収入は廃止され、国王が独断で貴族に資金を与える権利も廃止された。教会財産の国有化、それを担保とする新紙幣(アシニア)の発行、こうした財政再建政策、が実行されたが、これが権力と財政の中心問題であった。これで名実ともにフランス革命が定まったのである。
ついでながら、このルクツーという人物、兵営に出かけて軍隊を寝返らせた人物であり、ナポレオンのクーデターと立案した人物、財務大臣を頼まれると、辞退して、ゴーダンを推薦して実現した。革命前から、貿易商人、船主、銀行家、領主、法服貴族であった。アメリカニューオーリンズに向かうとの貿易船を持っていた。
ブルジョア的貴族の代表的な人物、フランス革命の1年目に、こういう社会的存在が権力に到達したといってよい。

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