小林良彰(歴史学者東大卒)の西郷隆盛論 廃藩置県は名誉革命に似ている。

イギリス人は名誉革命を強調して、ピユーリタン革命のことを避ける傾向がある。そこで、イギリス人と話をしていると、平和革命を自慢して、フランス革命を暴力的だといい、それを国民性のように言う。それはちがうので、約40年前の革命では、フランス革命と同じような流血を伴い、国王の処刑も行った。以後100年間、イギリスは過激な国として、ヨーロッパ中で嫌われていたのである。
だからますます名誉革命だけを強調する。この中身を見ると、確かに平和的ではあるが、中身は革命的であって、劇的な変化が起きている。クロムウエルが死ぬと、短い期間彼の息子が後を継いだ。そういう意味では、護国卿制度は半ば王制に似ていたのである。しかし、長老派将軍のクーデターがあり、革命前の王制に戻して、チャールズ2世の復位が実現した。この段階で、イギリスは、国王の行政軍事の権力、議会の立法権が共存する国になった。つまり、前時代と近代国家の間で揺れていた状態であった。この時代をレストレーションという。だから「明治レストレーション」という英語は「誤訳」である。もし徳川将軍の復位があれば、それがレストレーションというべきものになる。
イギリスで、ジェームス2世の時代になると、国王を取り巻く貴族たち(戦士、騎士)が権力独占を目指して議会に攻勢をかけた。議会の抵抗にあうと、議会への進軍を命令した。ここで軍隊がためらった。こうなると国王個人の命が危ない。国王は逃亡し、代わって、国王の女婿オレンジー公爵を次期国王に迎え、前国王の権力を議会の手に戻したのであった。立憲君主制が成立した。本質を言うと、中世以来権力を独占していた貴族階級から権力を奪ったことになる。ただし奪ったから、追放したというとそうではない。軍隊の幹部は貴族で固めている。政治家に貴族が出てくる。それは容認し、奨励する。問題は、前時代のように、「平民を馬鹿にし、そのうえに立たなければ収まらない」という気風を捨ててくれるかどうかである。
つまりは、古い時代の貴族が、新しい貴族、ブルジョア的貴族になってくれればよいのである。これ以後長い時間をかけて、イギリス貴族はそうなっていくので、これをジェントルマン資本主義などという言葉も出てきた。日本の女性ガイドが、「何がジェントルマンですか。ゼニトルマンですよ」といったが、よく本質をついていると思う。
この変化を、廃藩置県が実現した。無血革命で。それまでは、全国の4分の1で武士階級が支配していた。旧幕府領だけの革命だから、あとはそのままであった。たとえ藩主(藩知事)が東京へ呼び出されても、城代家老(ご城代と呼ばれている)を頂点に家老、重臣、ご重役以下、ピラミッド型に役職があり、上級武士、中級武士、下級武士が役職に就いた。役得という言葉もある。役職手当とともに、わいろ、袖の下の収入がある。豊かな生活を送っている。役職のない武士のことを「無役の武士」という。これは家禄だけの生活で、みじめと思われていた。お城勤めが権力を表現していた。地方には代官が派遣される。数人、数十人の部下の武士を抱えている。地方では全権力を握っていた。
こうした集団、これは例えていえば、今の北朝鮮の首都にいる集団のようなもの、土地の集団所有の上に立つ支配者集団であったといえる。もっとも、今の集団所有は、国営企業を足場としているが。150年前の日本では、土地の集団所有であった。
これを一撃で破壊する。無血ではあるが効果は絶大。この意味をほとんどの日本人は感じない。しかし荒城の月を思い浮かべてほしい。昔の栄華今いずこである。それが一日で実現した。明日からは、お城勤めはない。仕事がない。代官も解雇だ。家禄だけは年金のように与える。役職収入は消える。城は見捨てられる。壊されたのもあった。新しく派遣された県令は、その土地とは関係のないものであった。
東京に残された旧大名は、家禄を藩収入の十分の一と見立てて、その分の収入を保証するとした。つまりは、大金融融資産家に転化した。ラファイエット侯爵のような待遇だと思えばよい。
このような無血革命を実行するにあたり、西郷隆盛は、戦争を想定して、渋沢栄一に相談した。「戦争になったら、金は出ましょうか」、ずばりこういう質問であった。この時渋沢が政府の財政を担当していたからである。「どのようにでもなる」という返事を聞いて、帰っていったという。ここでも、西郷は、武力と資金の同盟を作り出した。
渋沢は、のちに第一銀行を作り、これは現代のみずほ銀行の一部になっている。武士的気質を持ちながら、お金のことも分かっている人であった。

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