小林良彰(歴史学者東大卒)の西郷隆盛論 江戸開城はフランス革命よりも急進的改革になった

日本での常識は、フランス革命は徹底的、日本のものは妥協的というものである。日本だけではなくて、世界的にも通用している。これが思い違いだというのである。
フランス革命で、バスチーユ占領があり、ヴェルサイユ行進があり、国王一家と国民議会はパリに移転した。ヴェルサイユは捨てられ、パリの郊外になった。権力は交代した。しかし何が変わったのか。人権宣言、封建的特権(領主権)の廃止、これくらいが教科書には載っている。しかし、自由、平等、友愛というスローガンは後に出てきたもので、この時は「自由、平等、財産」であった。つまり、この時点での財産権の変化はない、むしろ、個人財産は死守するという決意がみなぎっている。したがって、だれの財産も傷つけられなかった。
この意味を考えてほしい。もとはといえば、大商人、銀行家の財産を国王が取り上げることを許さないという決意を示したものであるが、同時に、大領主の財産権も没収はされないといっているのだ。ブルジョアジーもまた古くから領地を買い取り、領主になっていたから、この方針でよかったのである。
だからフランス革命の初期、社会構成は何も変わっていない。ただに突、封建的特権の廃止という言葉が勇ましく聞こえる。しかしこれに騙されてはいけない。これは国民議会が喜び勇んで出した法令ではない。全国で、領民(農民といわれるが、それ以外にも土地持ちの都市市民がいた)の反乱がおこり、領主の城が襲撃された。これを大恐怖という。パリの反乱とは別物で、自律的に起きた。幕末のええじゃないか騒動、百姓一揆、砲兵隊の反乱などに似ている。「鎮圧のために軍隊を」という声はあったが、どちらの側も出動できない。

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