小林良彰(歴史学者東大卒)の西郷隆盛論、ワシントン、ラファイエットとともに2度目がある

クロムウエルは死んだので、一回限りであったが、他の3人には2度の出番があった。ラファイエット侯爵はオーストリアの牢獄から解放されて、帰国し、妻の城に住んだ。妻は公爵家の相続人、女性公爵であったから、ナポレオンの時代も、王政復古の時代も何不自由のない貴族的生活を続けた。彼の土地と城は売り払われたが、それに相当する補償金を政府から受け取ったので、莫大な金融資産の所有者になった。
つまり、本人がブルジョア的貴族になったのである。1830年7月革命の時、彼は議員の選挙に打って出て、当選した。当然、昔と同じく自由主義者であって、時の政権の絶対主義的傾向に抵抗した。革命運動には参加しなかったが、復古王政が倒れると、大統領に推挙する声が上がった。大統領ならラファイエット、王政ならルイ・フィリップ十言われ、結局王制に落ち着き、ラファイエットの出番は消え、しばらくして死んだ。
ワシントンは戦勝とともに、辞職した。功労金を提供されたが辞退した。西郷隆盛に似たところがある。引退しても大農園がある。それに比べると、西郷の土地は小さい。そのうえ、「子孫のために美田を買わず」という漢詩を残している立派な人物である。
ワシントンは十年後アメリカ合衆国連邦の成立で、初代大統領に擁立された。この最大の目的が、どこかの州で反乱がおきたとき、中央政府が鎮圧するというものであったから、日本に例えていうと、ワシントンは西郷隆盛の路線ではなく、大久保利通の路線を進んだものということができる。
二度目に登場した西郷隆盛は、フランス革命のロベスピールに似ている。中間層の革命理論を実現しようとするが、それが失敗する。政府官僚の腐敗に憤慨し、批判する。後輩からは煙ったがられる。後輩の利権争奪戦を、「脱出す、人間虎豹の群れ」と漢詩に書いて批判した。こういう傾向がロベスピールに似ている。こうして西南戦争に殉じる。その胸中を察すると、これ以上は書けない。

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