市民革命以前の中国

市民革命以前と以後を分ける基本的変化は何か、それは今までフランス革命、イギリス革命、アメリカ独立革命で分析してきたように「それ以前は、土地支配の上に国家権力が構成され、それ以後は動産支配、実業家の支配、企業家の支配、フランス語ならばオム・ダフェール、英語ならばビジネスマン、現代ならビジネス・パーソンが権力を組織する社会に変化する」というものである。この点だけは、人種、民族の壁を越えて、共通点がある。だから、この点だけに、自然科学的な一般法則が歴史の中にあるというのである。
れぃしは個別的なものだという人は多いが、これだけは一般法則で分類できるものである。(もっとも、それを理解するには、理科的能力を必要とします。これは私の皮肉だと思ってください)。
中国の「この時点」を理解することは、至難の業です。特に年々難しくなってきている。なぜなら、中国人がこの時代のことを知らなくなってきているからです。つまり昔のことはどうでもよいからです。特に、異民族に支配された時のことは思い出したくもない、これがどこの国にもあるからでしょう。
その異民族、満州族に約300年間支配されてきました。日本の幕藩体制に例えると、満州人が、日本の武士階級で、漢民族は、日本の農、工、商であったと思えばよい。日本では同一民族で差がつくが、この国では、服装でも、髪の形でも差がついた。
日本の武士は城下町に住んだが、満州族は、騎馬軍団で都城に住み、周辺住民に領主権を行使していた。やり方は千差万別ではあるが、上級土地所有権を握って、その収入で生活し、戦士として被支配者に対してにらみを利かしていたという点では同じであった。
日本の場合、討幕戦という一つの戦争で、次の支配権は実業家集団に移行し、市民革命になったが、中国ではそうならなかった。
1911年、辛亥革命が起きる。清朝政府は倒れた。袁世凱が実権を握り、孫文の作った中華民国臨時政府をつぶした。袁世凱は、1916年死去する。これで、軍閥割拠の時代に入る。これは市民革命か?そうだという人はいない。満州族は追い出された。満州族の領主権は消滅したが、それを横取りしたのが、各地で二流の支配者に甘んじていた漢民族の大土地所有者であった。日本に例えていうと、幕末の庄屋、名主、などに相当する。それぞれの地域で権力を組織した。しかし全国的権力を組織するだけの余裕がない。そこで、それぞれの地域の有力軍人を押し立てて、軍閥割拠の時代を作った。したがって、この時代はまだ、土地支配の上に権力が構成されていたのである。だから前近代社会であった。

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