恐怖政治 ロベスピエールの政策 敗北への道

ロベスピエールは公安委員会を欠席し始めた。しかしジャコバンクラブには通った。まだ議員・人民代表としての資格はあるから、「暴君どもと死闘を演じるであろう」といった。暴君と呼ばれた人たちは、彼のことを独裁者といった。彼の一番弟子サン・ジュストは貴族出身の革命家・派遣委員であったが、「革命は凍り付いた」と書いたが、公安委員のメンバーとつかみ合いの喧嘩をした。この間,ルクツーは投獄されて処刑を待つ身の上であった。(ナポレオンのクーデターを実現させた人物)。もう一人の銀行家ぺルゴは告発されたが、カンボン(財政委員会議長)が国民公会で大演説をして、拍手喝さいを浴びて、安全を確保した。ぺルゴはこの時期公安委員会の銀行家と言われていたが、のちにはナポレオンのクーデターを演出した。
この時の対立はすべて、ヴァントウーズ法をまじめに実行するか、それともこれを口先だけの公約にとどめるかという点を巡るものであった。ロベスピエール派議員は約10人,これだけがまじめにやろうとするものであった。残り数百人は「あれは口約束」、エベール派の脅威が去った今となっては、廃案にすればよいと思っている。カンボン財政の立場から、無料はよくないといっていた。公務員の規律違反については、ほとんどの議員が身にやましいものを抱えていた。ただ一人、ロベスピエールが腐敗しない人と呼ばれていたということは、他の議員はそうではないということだから、今やロベスピエールは迷惑な存在になってきた。
五百数十人対十人、これで十人が簡単に無視されなかった理由とは、当時の特殊な事情によるものであった。パリの治安がジャコバンクラブに依存していた。これを敵に回せば、議員の身の上も危ない。そのジャコバンクラブがこのときロベスピエール支持で固まっていた。いざとなれば、数十万人の武装した群衆を集めることができる。このクラブの指導者は何者か。それは小ブルジョアジーと呼ばれた、今でいう中産階級であった。商店主、工房の親方、芸術家、などなど大金持ちではないが、貧しくもない、まじめに働いて、そこそこの収入を持つ、こういう階層であった。一人サンプルを挙げると、ダヴィッドという画家がいる。誰でも知っている。ナポレオンの戴冠式を描いた。彼もこのとき議員であり、「ロベスピエール君毒を飲むか。それなら僕も毒を飲む」といった。こういう階層だから、腐敗に対しては敏感であり、独特の正義感が出てくる。腐敗議員と言われた人たちが釈明に来た時、「ギロチンへ」という叫び声で追い返された。こうなってくると対決は避けられない。
財政委員会議長カンボンは「明日私か、ロベスピエールか、どちらかが死ぬだろう」と父親に手紙を書き送った。これが対立の要点であり、このように整理した歴史家はいない。

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