恐怖政治、9月5日の事件、穀物の強制調達をめぐって

この事件は年末まで続いたが、重要なことが歴史の上で語られていない。まず、この「革命軍」がどれだけ残虐なことをしたか、はっきりと書いた人はいない。ギロチンを引っ張て行ったことは確かであるが、何人の首を切ったかは書かれていない。ここでの恐怖政治は証明できないのである。これは無理もない。はじめの頃は裕福な農家つまり地主や貴族は漫然と家宅捜査をされ、処刑されたであろう。しかし、その次の村では、情報が伝わっているから、自家消費分を残して、捨てるだろう。革命軍はそれを拾い集めたら目的を達成する。後は早くパリに帰ればよい。当時は荷車での移動であるから、それほど遠くへはいけない。つまりこの影響は限定的であった。
ただし、農業政策という意味では、深刻な結果を残した。この時期が小麦をまく時期であったから、誰もが自家消費分だけをまいて、それ以外の農地を荒れたままにしたのである。本来なら小麦の青い芽がでてきて、畑は一面真っ青になる。そこが黒々としている。誰が見ても来年の食糧不足は目に見えている。ロベスピエールはそれをジャコバンクラブで訴えて、過激派反対の潮流を作り出した。過激派指導者が孤立したところで、保安委員会が彼らの逮捕、処刑を実行した。自殺した人もいる。ラコンブは投獄され、のちに釈放されて、屋台を引いたといわれる。年末になると、ロベスピエールの任期は絶大なものになった。国民公会の議員からすれば、彼が守護神のように見えたのであった。現在はロベスピエールが極左のテロリストのように思われているが、そのテロリストから国民公会をまもったことで人気を博したのであった。

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