恐怖政治の平原派指導者カンバセレス、政・財・官を一人で代表する

フランス革命の本質を一人で体現するような人物がいる。南仏モンペリエ出身のカンバセレスである。フランス革命の出発点では、これという活躍をしていない。国民公会に選出されたが、いわゆるジロンド派にもジャコバン派にもつかない。
国王ルイ16世の裁判が始まり、死刑か助命かの投票が行われた時、一人独特の理論を展開して、有罪ではあるが、裁く権利がないという法律論を展開した。当時は死刑反対論者だと思われたが、のちに王制が復活した時は、国王を殺した側だとされて国外追放となり、のちに論旨が見直されて帰国を許されるという独特の運命を多たどった。いかにも平原派的な行動に見えるが、少なくとも、「定見を持たない、日和見主義者、強い方についてうろうろする」という侮蔑には値しないことは分かる。むしろ、一人一党主義、是々非々主義というべきか。
国民公会では立法委員会議長をを務めた。というのは、彼が法服貴族であり、法律の学校を卒業してきたからである。三部会の選挙の時は貴族部会の候補に挙がり、補欠のような形で議員にはなれなかった。
ロベスピエールの失脚ののち、一時的には公安委員会に名を連ねるが、昔ほどの権力ななかった。ナポレオンがクーデターを起こして権力を握ったとき、シェイエスの後を受けて第二統領になった。ナポレオンは戦争のために国外に出ることが多い。その時は、実質的にカンバセレスが最高権力者になる。さらにナポレオン法典の編纂の最高責任者であった。法律は彼の専門であり、ナポレオンにはよくわからない。つまり、フランス革命で起こったことを明文化した、そこに彼が最大の貢献をしたのである。
ナポレオンが皇帝になると、彼は貴族院議長(元老院)になり、パルマ(パルム)公爵として、占領地イタリアの、小国の君主になった。征服型の市民革命を代表している。
ナポレオンが敗北し、王制が復活すると、国外追放になり、すぐに帰国が許された。
ここまでは調べると、だれでもわかることではあるが、これでは本質がわからない。カンバセレスがおとなしい、イエスマンだという人もいる。そんな状態でここまで上り詰められるのか。
重要で、人に知られないことが二つある。まず一つ、彼はウヴラールの顧問弁護士であった。ウヴラールは最大の政商、軍需物資の調達者、さらにその人たちに対して金を貸す金融業者でもあった。中小企業者から一気に巨大ビジネスマンにのし上がった。それが恐怖政治の時に一致する。政治的には総裁バラスと癒着していた。それが行き過ぎて、ナポレオンのクーデターの直後、自宅軟禁のなった。その後、両者の手打ちがあり、値引きして協力することになった。併せて、カンバセレスが第二統領になる。これを見ると、カンバセレスの実力も想像できるだろう。イエスマンだけというわけではない。
もう一つ、彼はアンザン会社の大株主になった。この事実と意味を日本人に説明するだけでも一苦労する。この会社は、北フランスからベルギーに広がる、当時最大の炭鉱を開発していた巨大企業であり、国王から特権を認められていた、巨大特権会社であった。当時、エネルギーの基本は石炭であった。十数人の株主の中に、この地方の大貴族がいた。ヴェルサイユ城でも高位に位置付けられた。そこで、彼らが亡命した。亡命貴族財産の没収、売却が恐怖政治のころに進められた。終わってみると、カンバセレスがアンザン会社の大株主になっていたのである。つまり、カンバセレスは財界の最高位に位置づけられることになった。これでは第二統領になっても、当たり前のことというべきだろう。つまりフランス革命はブルジョアの革命であったというべきだろう。
ナポレオン権力は、ペルゴ、ルクツーのような銀行家、カンバセレスが代表する大工業にささえられてせいりつしたものであった。
これを強調するのは、従来の学説の誤りを指摘することにつながる。アンザン会社は大塚史学によると、恐怖政治で破壊されたと書かれた。高橋幸八郎、中木康夫の両教授がそう書き、東京大学と名古屋大学で講義した。当時はこの影響が強かった。東大、名大の卒業生はこれを真理と思い込んだ。私がいくら事実ではないといっても、この年代の人は絶対に聞き入れない。中木康夫教授は、私と出会ったとき、自分の間違いを認められた。ただし「あなた東大ですか、私は京大かと思っていました」などといわれた。東大ならばすべて大塚史学だろうという感覚であった。
そんな身びいきの問題ではなくて、つぶれてもいないものをつぶれたと書くのがけしからんことでしょう、それに炭鉱をつぶしたのは敵国のオーストリア軍であった。当然のことでしょう。撃退するとすぐに再建が始まる。これも当然のこと。その時所有権の変動があった。旧時代の支配者から、新時代の支配者へである。
カンバセレスはナポレオンの恩寵がなくても、アンザン会社からの利益が入り、ウヴラールからの謝礼が入る。つねに豪奢な生活をしていたといわれる。ただし品行は方正、バラスとは違う。

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