恐怖政治の平原派指導者シェイエス

フランス革命の恐怖政治の時期、所謂ジロンド派でもなく、モンタニヤールでもない中間派としての平原派約400人、これが最終的に勝ち残った勢力であり、この背後にいるものが何か、これこそがフランス革命の果実を手に入れや者である。そういう問題意識の下で、バラスに次いで、シェイエスを取り上げる。
シエース、シェイエース、その他でも呼ばれる。アベ(聖職者に対する敬称)でも呼ばれるが、最高位ではない。副司教、徴税請負人の息子、貴族ではない。その上に司教、大司教、枢機卿がいたので、これが貴族出身であった。身分としては平民、第三身分であったが、宗教家であるから、第一身分でもあった。最高権力者のその下くらいの立場であり、その意味ではバラスとも似ている。確かに、革命家はこのあたりから出てくることが多い。
シェイエスはフランス革命直前、「第三身分とは何か」を出版し、これが今までは「無」であったが、これからは「何者かになる」といった。これは銀行家ネッケルが娘をスエーデン貴族と結婚させたとき、「何者でもないものが、何者かになるためには娘が必要だ」と貴族社会で揶揄されたことにつながる。
バスチーユ占領のころは、華々しく活躍したが、次第に穏健となり、フイヤン派に属し、国民公会では平原派の中にいた。しかし、発言をしない。後日「あの時何をしていたのか」と揶揄されると、「生き残ることに努めていましたよ」といったので、これは名言とされ有名になった。ただし、取り巻きを持っていて、何か常に陰謀を企てていたといわれている。
イギリスのスパイの報告では、シェイエスがロベスピエール、公安委員会に影響力を行使しているといわれている。まさかと思うだろうが、ロベスピエールの最後の演説は平原派に対して呼びかけたものであり、つまり死の直前まで、平原派を当てにしていたのであり、それはとりもなおさずシェイエスを当てにしていたということである。
しかし、シェイエスはその日にロベスピエールを切り捨てることにしていたのである。その後、シェイエスは公安委員会に入る。つまり、ロベスピエールを倒した後の権力者になった。
総裁政府の末期、総裁の一人に入り、バラスと肩を並べた。しかし、ナポレオンのがわに
つき、クーデターの後、第二統領になった。第一帝政では元老院(貴族院)議長になり、革命フランスの最高の成功者になったといってもよい。
この人物の背景としては、ルクツー・ド・カントルー(銀行家、貿易商人、法服貴族)が目につく。国民議会では財政委員会で活躍した。ただし常に同じ道を歩いたというわけではない。国王の処刑に反対して、救出の努力をした。これで投獄され、処刑を待つ身になった。その時、シェイエスは何もせずに、沈黙していた。
ナポレオンの時には、ルクツーがナポレオンを呼び戻して援助し、そのあとシエイエスが第二統領になった。王制が復活すると、国外追放となり、7月革命で帰国した。こう見ると、シェイエスはフランス革命そのものを象徴しているように見える。

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