恐怖政治の平原派議員、無名であってもビジネス界の有力者

政治の表舞台では、いわゆるジロンド派、ジャコバン派が華々しく活躍するから、歴史の舞台では平原派議員はかすんでしまう。いやそれ以上に、無視され、ゼロとみなされる。しかし実際の社会性生活では、ブルジョアジーの成功者として、こちらの方が上になる。フランス革命がブルジョアの革命であるからだ。
実例を挙げよう。ドルニエは鉄鋼業者、大土地所有者、大砲を原価で国家に提供して、「誠実の人」といわれた。つまり恐怖政治の政府に全面協力をした。財政委員会の委員のひとりであった。この時期の財政委員会は、財務省を指揮する権限を持ったから、事実上の財務次官に相当する。ジロンド派将軍デュムーリエと巨大武器商人デスパニャックの不正取引、汚職を告発して戦った。こういう正義の士ではあったが、この時期に立派な城を買い入れた。つまりは、亡命貴族財産の没収・売却の制度を利用して、成り上がりものになったのだ。正義感ではあるが自分の利益は忘れない、これ、良い意味でのブルジョアジーというべきであろうか。
もう一人の、財政委員ジョアノはもともと、王立ウェッセルラン・マニュファクチュア(繊維、染色)の実力経営者であった。大塚史学の定義によれば、特権的、前期的商業資本の組織する大工業で、こうしたものは恐怖政治の時代に廃棄されるものと定義されるが、実際にはその経営者が国家の財政を握っていたこと、これを知る必要だある。
ギュィトン・モルヴォーは法服貴族、領主、工場主、鉱山開発業者、ラヴォアジエと協力して、化学研究を行い、発明の工業化も行った。ジロンド派の追放には反対した。しかし、ジロンド派が追放され、友人のラヴォアジエが処刑されたとしても、彼は公安委員会に残っていた。一度やめて、公安委員会からモンタニヤールが追放された後、またここに入ってきた。恐怖政治の時期、パリで武器工場を経営していた。
この人物と親しかったのが、同じ平原派議員のバレールであった。公安委員会で外交を担当し、名演説家、ギロチンのアナクレオンと呼ばれる。最後までロベスピエールを支持して、土壇場で態度を変えた。カメレオンともいわれる。
平原派は一つの意見にまとまっているわけではないが、ブルジョアジーの上層を代表し、その時に合わせて意見を変える。こうして激動の時期を乗り切る。信念の為に殉死することはなく、保身の術にはたけている。こういう集団がフランス革命の荒波を乗り切ったとみると、ジロンド派対ジャコバン派の対立でフランス革命を論じてきた従来に歴史観とは、また別な結論が出てくるだろう。

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