明治維新に貢献した士魂商才

征韓派の下野から西南戦争に至る政争で、基本的な対立は士族対大久保で説明されてきた。これが一般的な教科書。しかしこれでは事の本質がわからない。大久保の背後に、経済界があったと、私は補完した。これで筋書きがすっきりしたはずである。
ここで気になるのは、完全に割り切ることのできない、接点というものがある、これをどう見るかである。
その接点に、「士魂商才」を代表する一団がいた。そして、西郷隆盛は、この「士魂商才」と純粋武士の中間、接点に位置していた。だから、彼の晩年の行動が揺れ動くのであった。
純粋武士は、「士族の商法」に代表される。「士魂」が強すぎて、ビジネスでは失敗する。「金勘定は苦手」、「素町人ども」というような言葉を使う。これはフランスでも同じ。「ブルジョア」というのは、「卑しい」という意味であった。「あなたのネクタイはブルジョアだ」といわれたら、「下品」だといわれたことになる。日本よりも厳しくて、読み書きは「ブルジョア」のすること、貴族は署名だけすればよいと思われていた。
しかしそれでも、剣を持つ階級から、、ビジネスの社会に移ろうとするものが現れた。次男、三何以下に多い。当然のことで、家と土地財産を継げないのなら、何かで収入の道を考えなければならない。
長男でも、最下層の武士、貴族では。何か良いことがあればそちらに移ろうとする。そこに士魂商才が出てくる。思えば、江戸時代の三井の祖先がそうであった。坂本龍馬もその方向に進みながら、暗殺された。
この士魂商才に、武士的商人が協力する。「侠商」と呼ばれた。薩摩の浜崎太平治(海上王と呼ばれた)、長州下関の白石正一郎(廻船問屋)、博多の石蔵屋卯兵、長崎の大浦のお慶、岡田平蔵(井上薫が、それはえらい、あれほどえらいやつはいないといった)、などなど。
新政府の時代になると、五代友厚(才助)、藤田伝三郎(藤田組)、渋沢栄一(銀行業)、益田孝(三井物産)など、武士的ビジネスマンが急成長する。三菱の岩崎弥太郎はその最大のものであるが、武士というにはその出だしがみじめすぎるので、言いにくいところがある。
岩崎は大久保に全面協力した。五代は鉱山王といわれるほどの巨大な資本を動かしていた。その反面、板垣退助など、士族の指導者と大久保利通の仲を取り持とうとして、妥協に動いた。五代が薩摩の武士であったから、西郷隆盛にも影響を与えた。
こういうことが、士族の一斉蜂起を防ぎ、政府軍が各個撃破することに成功したという条件を作った。つまり結果的には、大久保を助けてやったことになる。日本資本主義の確立に貢献したことにもなる。
本人は、このあと数年で死ぬことになるが、死後の財産は意外に少なくて、子孫が財閥として残ることはなかった。巨大な資本はすべて次の事業につぎ込む。それが、我が国の発展に必要だと思っていた。まさに士魂商才の典型であった。

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