明治維新は討幕戦から始まる。

話が少しそれたので、本論に戻します。フランス革命は1789年に始まり、1830年に終わった。終わったというのは成果が確定して、それ以後は後戻りしないということです。
日本では、これに相当するものが、1868年に始まり、1871年に終わった。これを明治維新と日本では言うが、これが誤訳され、誤解されてこの時期設定が受け入れられない。私はこれを「日本革命」というべきだと主張する。
フランス革命の終結1830年、日本革命の終結1871年、このような記述が世界史の教科書でなされること、これが私の夢です。そのための論考、考証をしています。
フランス革命の始まりに戻ります。これ以前、フランス絶対主義と呼ばれる世の中で、アンシャン・レジーム、旧体制とも呼ばれ、それ以後の社会とは違うのです。貴族が優越的な立場を持つ社会で、それ以下が平民であった。日本でも武士階級が優越的立場にあり、それ以下が町人、百姓であった。だから、英語フランス語に翻訳するとき、侍・さむらいと言わずに、日本の貴族「ジャパニーズ・ノーブル」というべきだといいたい。侍では、大名、上級旗本が含まれない。これでは下っ端ばかりで、卑屈な集団のように思われる。これも誤解のもとである。
どちらも大土地所有者の代表者が、戦士として中心部の城に集まります。土地所有の形態はさまざまです。領地の個人所有、これはフランス革命前まではそうでした。日本は、領地の集団所有、それが藩と呼ぶ単位で組織され、最高支配者のものは、幕府領とか、天領と呼ばれていた。
日本では、江戸城が中心で、ここに旗本の役職者と300諸侯と呼ばれた大名が集まる。フランスでは、ヴェルサイユ城に集まります。宮殿と訳されるが、これでは誤解を招く。ル・シャトー・ド・ヴェルサイユというから、城なのです。これを宮殿と翻訳したから、これだけでも誤解の種をばらまいたのです。ヴェルサイユ城には、3000の大領主が集まった。どちらの城でも、腰に剣を持つものが主流です。例外は、日本では茶坊主、フランスでは、法服貴族と教会貴族です。フランスでは、読み書きはブルジョアのするものと思われていて、高貴な貴族はするものではないと思われていた。だから彼らが書き役として一定の職権を持ったが、意思決定はその上の剣を持つ大貴族によるものであった。教会貴族は大貴族の親族で、次男、三男が相続に外れた時、ここに派遣されるもので、日本でいう門跡寺院のようなもの、日本でも、江戸時代の初期は天海大僧正などの例がある。
どちらの国も、大土地所有の戦士の集団が中心の城に集まり権力を握っていた。この点が共通点である。この体制を崩すものが市民革命であるが、崩し方は各国の条件によって異なる。日本の場合は、最大の領地を持つ徳川家の本家、将軍(征夷大将軍)の武力と戦って勝つことが必要な条件であった。つまり討幕戦であり、鳥羽伏見の戦いであった。フランスではバステイーユ占領に象徴される市街戦であった。

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