東京遷都は財政革命であり、住宅革命であった。

明治の新政府が成立したころ、財政収入の基本、年貢米の徴収は過ぎ去っていた。つまり旧幕府がとってしまっていた。今更よこせといっても何もない。朝廷の収入を当てにしても、3万石程度、物の数ではない。太政官札を発行して、支払いに充てたが、信用の裏付けがないから下落してしまった。
いつまでも関西財界の献金に頼ることはできない。明治元年の年貢米徴収は、新政府が滞りなく実行しなければならない。それが成功して初めて、「幕府財政をとる」ことになる。その基本はどこにあるか。これは誰が見ても明らかで、関東平野にあるわけだ。とすれば江戸に行かなければならない。
こうして、幕府財政をとる、西郷隆盛の強力に主張した「辞官、納地」の後半が完成することになる。こうして、政治、軍事の革命の後、財政の革命が一年後に実現した。
フランス革命では、バスチーユ占領でパリの独立は果たしたが、全国からの租税収入をパリに集めることはできなかった。まだその権限はヴェルサイユにあった。実は、これに似たような事件が、約100年前に起きていた。フロンドの乱と呼ばれ、国王は地方に亡命し、パリは独立した都市であった。しかし、最終的に、パリが国王軍に占領されてしまい、フランス絶対主義の完成となった。そういうことがまた起きないとも限らない。
ヴェルサイユ行進が国王をパリに連行して、パリを租税徴収の中心にしたのであった。
住宅革命というのは、大名屋敷、旗本屋敷のことであった。諸国大名は江戸に来なくなった。旗本八万騎(実際は3万程度)は静岡藩に移転させられたから、これらが空き家になった。さながら、ゴーストタウンと化した。
他方、京都では、昔ながらの住宅がある。新政府の官僚は、住宅難に困る。これでは、新政府の元気が出ない。東京遷都ともに、新政府の官僚たちは、大名屋敷、旗本屋敷に住んで、一気に上流社会の実感に浸ることができた。そこに、旧幕府の旗本の妻女が、女中、お手伝いさん、掃除婦、「飯モリオンナ」として仕えることになった。その変化を、西郷隆盛は批判して、新政府官僚たちが「大名屋敷に居住し」、多数の人を使い、ぜいたくをして、これは月給だけではできないことだと批判した。このあたりが、住宅の革命を証明するものであると同時に、西郷隆盛が、自分の作り出した社会を批判する原因にもなった。
フランスはどうかといえば,ヴェルサイユをそのまま捨ててしまっただけのことであった。後はパリで自分勝手にやってくれということであった。一例を挙げると、ロベスピエールは、指物大工の親方ヂュプレーの家で間借をしていた。今でいえば、ニトリや、大塚家具の社長宅で下宿をしたというようなものであった。

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