西郷隆盛対大隈重信で説明すると、明治維新がよくわかる、小林良彰の歴史観

西南戦争になると、テレビでも歴史書でも、大久保利通対西郷隆盛の対決で歴史が語られる。西郷隆盛の背後には、不平士族の一団が控えている。これは誰にでもわかる。大久保の背後は、これは誰も言わない。大久保、岩倉、三条、天皇については言う。しかしこれでは、圧倒的な兵力をどうやって動かしたのかが説明できない。
大久保は西郷の死の直後暗殺される。西郷の死で、不平士族の運動は消滅した。ならば、大久保の死で、大久保の路線も消滅したのか。そうではなく、伊藤博文が後任になって、何事もなく政府は続いた。つまり、政府の側は、大久保がいてもいなくても大して変わることはないのだ。変化があったとすれば、内務卿、内務省の重みが、少し下がり、その分大隈重信の発言力が強まったということだろう。
これからの4年間は、大隈の時代といってもよい。つまり大久保がいなくなると、大隈が引き継ぐ。この二人の背後に何があるのかということ、ここに疑問を持たなければならないだろうが、その疑問を持つ人が、日本にはいない。私は60年前にその疑問を持った。持ちさえすればすぐにわかる。財界、実業家集団、日本ブルジョアジーである。
大隈重信の略歴をまとめる。佐賀藩士、伝統的学問に疑問を持ち、さらに蘭学よりも西学、つまりオランダ語ではなく英語による西洋文明の導入の重要性を唱えた。当時としては、先見性の極みといってよい。このせいで、学校からは退学になった。討幕論を唱えたが、佐賀藩の大勢は動かない。藩主はぐずぐずしていて、じれったいといっている。
一人で京都にやってきたが、新政府では参与、外国事務局判事、外国官副知事、になり、事実上の外務大臣としての仕事にあった。つまり、この時点では、この上に、上級公家、改革派大名が、名誉職として、上役にいたからである。実務としては、イギリス公使パークスと交渉にあたり、相手側に好印象を持たれた。
明治2年、1869年、会計官副知事、この時、由利公正(会計官)の辞任があり、7月、大蔵大夫、民部大夫となる。上には大蔵卿の松平慶永がいた。しかし、名君といわれても、個人になるとただの人といわれたように、能力がないから、大隈が事実上の財務大臣であった。この時、政府の金を持って、大村益次郎とともに、彰義隊討伐を行った。
彰義隊については、西郷隆盛は融和的、消極的であった。大村の戦略、大隈の財政資金、佐賀藩の持つアームストロング砲、この三つの威力で、短期決戦になった。西郷隆盛の威力は落ち、大隈重信の威力は上がった。
西郷は引退し、大隈は財政の最高権力者になった。ここまでは、公式的な歴史、これから先が本質論です。大隈は住友、鴻池という大商人から、軍資金を預かって、新政府に入ってきた。東京遷都になると、三井組の江戸における大番頭三野村利左エ門と親しくなり、「みのり、みのり」と大事にしたという。三野村は事実上の江戸における三井の代表者、幕末勘定奉行小栗上野の介に深く取り入っていた人物である。三野村も、大隈邸に上がり込んで、留守中でも、取り巻きの機嫌を取っていた。
やがて、大隈の下に井上薫という長州藩士が付いた。この人物、幕末にロンドン留学を果たした。三井と井上は急に接近して、西郷隆盛が井上に「三井の番頭さん」と声をかけたほどであった。大隈は、三大商人のうち、島田組と親密になり、「島田は大隈さんの何だったから」と、いのうえにいわせるようになった。
やがて、廃藩置県が起きる。この時、旧上級公家、旧大名を最高権力から外した。次第に、伝統的権威をはぎ取っていったわけだ。そうすると、当然、大隈重信が大蔵卿になるものと思われた。ところが、その地位に、大久保利通が付いた。これは西郷隆盛の意向であった。「この度は、俗吏もぬれねずみのごとく相成り」と西郷が手紙に書いている。
つまり、西郷の理想論、理想国家からすれば、大隈のやり方を抑える必要があるというのである。
しかし、その直後、「何分、十分な選択あいいかず、残念至極」と書いた。これは、大隈を参議にという声を無視できず、認めたということである。こうして、最高権力者4人が、参議になった。西郷、大久保、板垣、大隈であった。
征韓派の下野で、板垣、西郷が去る。大隈は大蔵卿となり、事実上の財務大臣になる。そのころ、島田組の破産事件がおこる。しかし大隈は困らない。急速に成長してきた三菱商会の岩崎弥太郎と手を結び、「隈印は三印なり」と井上が書いたように、公然の秘密になった。
このように実業家集団の上を私歩いた、大隈重信、井上薫は「フラグ」といった。風のまにまに動くから。西郷隆盛は「俗吏」と呼んだ。大隈は「板垣と西郷は、戦争の話ばかりして、実務は任せるといって、印鑑を預けた」といっている。これでは、最終的に実業家集団が勝つだろう。こうして大久保亡き後、大隈が最高権力者になるが、この政権に武士的要素はなくなっている。つまりは、ブルジョアジーに純化されたといってよい。

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