討幕戦を英、米、仏の革命に例えると

幕府軍は江戸に敗退した。京都、大坂は解放された。ここでの新政府は商人層の支持が固い。西日本についての不安はない。しかし東日本、東北日本はまだ徳川幕府の支配下にある。旗本領は同じ、大奥も同じ、各藩の武士階級(日本の貴族)の領地、俸禄の権利も同じである。ここは前近代社会のままである。
討幕戦直後は、西日本が、フランス革命後のフランス、東日本が旧体制、アンシャンレジーム、絶対主義のフランスとなり、この時点でのヨーロッパに例えると、西日本がイギリス、フランスとなり、東日本がオーストリア、ロシアとなる。
こうした状態をイギリス革命についてみると、1642年、国王チャールズ1世がロンドンから退去して北西部に移り、貴族の騎馬軍団を集めてロンドン攻撃を繰り返した時に似ている。ロンドンは防戦にはつよい。貿易商人と船員は船内での格闘にはすぐれているが。しかし、大平原での戦闘は今一つとなる。店員その他では役に立たないと、クロムウエルがいった。
クロムウエルはジェントリ、小領主、小貴族、悪く言えば田舎貴族、日本でいえば郷士、ただ大叔父が昔国王側近で活躍したことがある、没落名家であった。彼が私財を投じて小規模な軍隊を作った。指揮官が貴族、騎兵が豊かな農民層、ヨーマンといわれたもの、これを中核にして、歩兵、砲兵を組み合わせる。ニューモデル軍といわれた。はじめは地方の民兵のようなものであったが、やがて勢力を伸ばして、議会側の軍隊の副司令官になった。
これまでは国王側と革命側・議会側は決定打なしの勝負を続けていたが、ネースビの戦いでクロムウエルのニューモデル軍が勝利して、議会の優勢が確立した。
この段階が、鳥羽伏見の戦いで幕府軍を破った直後の西郷隆盛と似ている。実質的な実力者ではあるが、まだ旧社会の名門を上に置いている。クロムウエルはフェアファクス卿という上級貴族をうえにもち、西郷隆盛は、総督参謀となり、総督は宮様であった。クロムウエルには東インド会社などロンドン大商人の集団が支持者として集まった。商人と下級貴族の同盟、この点が二人の類似点である。市民革命の出だしはこのようなものである。

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