討幕直後、新政府を支えた実業家の集団は激変を経験した。

土地支配の上に立った政府を倒した後、実業家の集団が新政府を支える。これはフランス革命でも明治維新でも同じことであった。これが歴史の中に潜む唯一の自然科学的法則であって、この法則に照らして、市民革命の年代を設定すると、次のようになる
フランス革命  1789年から1830年
日本革命    1868年から1871年(明治維新と呼ばれている)
私が証明したいことを一言で云えとなると、このように要約できる。
だから、革命以後の支配者は、実業家の集団になる。
しかし戦争、内乱の中で生き抜くことは難しい。もちろん、「資産を維持したままで」という条件が付く。人間だけが生き抜いても、資産を失えば、実業家としての実体がない。土地支配者の歴史を見るとき、戦争、動乱がない限り、人物や家系の変化が少ない。しかし実業家の集団を見ると、経営の失敗、破産ということがいつ起こるかわからない。たとえ、権力をとっても起こりうる。この点、土地支配の場合には起こりにくい。だから、前時代の支配者の説明はしやすい。それ以後の説明はしにくい。だからわからなくなる。
こういう一般論、これを念頭において、明治初期の実業家集団の激変、これを要約してみよう。
明治元年新政府を支持した実業家集団は、関西財界であった。その実態は、大商人、金融業者(両替商)であった。最大の存在は、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛(天五、平五などと呼ばれた)、鴻池も別格扱いされるほど居であった。
明治二年、東京遷都以後、関西財界は置き去りにされた。そこで、衰退するものが多く出てきた。もちろん、政府とともに東京に出てきたものは別であった。三都の大商人、(三井組、小野組、島田組)これらは、出るも出ないも、もともと江戸にも拠点を持っていた。住友も同じであった。また横浜財界が急成長して、政府を支えた。特に、伊藤博文と、田中平八、高島嘉右衛門の結びつきは有名であった。
この半面、大坂商人の中には、破産して消滅したものが多かった。特に、廃藩置県の影響を受けて、大名相手の商業、金融に携わっていたものが、衰退した。
明治7年、大久保政権は、「小野組破産事件」を引き起こした。これだけでも膨大な説明を必要とするが、簡単に要約すると、それまで政府を支え、政府と一体になっていた大商人のうち、近代化に遅れた二つの大商人、これに預けていた政府資金を引き揚げたものであった。つまり、縁を切ったのである。小野組は破産し、島田組は新橋に小さな企業として残った。三井組は近代化に成功して、大発展していく。
破産した大商人の穴を埋めるように、新興の企業家が発展していった。
三菱の岩崎弥太郎、銀行家安田善次郎、銀行家(第一銀行)渋沢栄一、造船業の川崎正蔵、鉱山業の五代友厚、武器商人の大倉喜八郎、生糸取引の田中平八などを頂点として、全国で新興企業家が成長していった。
これに合わせて、政府は支持基盤をこちらに移していく。とはいっても、全面的に移すのではなく、旧来の大商人の生き残りとの合同である。この点についての学者の議論は、「右か左か」どちらか出ないと気がすまぬという人がほんどで、大塚史学と呼ばれたグループの人たちは、「特権商人」の名で、三井、住友の名を挙げ、新興商人の役割を無視してきた。そこを批判すると、「新興企業家ばかりだというのか」という形で反論してくる。こうして「連続か断絶か」という形で議論を進めるものだから、そのたたき合いばかりになって、冷静な判断ができない状態であった、
私の言うのは「特権的商人の一部連続、断絶したものの隙間を新興企業家が埋めていく」というものであった。この目で見ていくと、フランス革命でもそのようなことがあった。ボスカリという大商人がいた。バスちーい占領の時、従業員、地域住民を武装させて戦った。名声は高くなったが、革命後、買い占めで評判を落とした。やがて破産した。同じようなことは、日本の小野組でも起きる。由利公正に協力して、新政府を支えた。しかし、佐賀の乱のとき、「小野組襲撃事件」が起きる。政府の側に立って、あくどい儲けをしたことへの批判であった。その後破産する。
こういうことを踏まえて、「市民革命で実業家の集団が権力を握るが、その集団内部では浮沈がありうる」というのが私の意見である。

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