領主権無償廃止はジロンド派の功績

前回領主権の無償廃止に至る過程を、立法議会の議事録に従って解説し、賛否はほぼ互角、若干フイヤン派の優勢、すなわち無償廃止論者の劣勢、であったところ、相手側が安心して退出した時、審議続行して可決してしまったことを説明しました。この出所は、小林良彰著『フランス革命史入門』、『フランス革命経済史研究』、『フランス革命の経済構造』です。
これが正しい史実であって、一年後の1793年の「封建貢租徴収の禁止令」は外国軍の占領地で、亡命貴族が帰国して、昔通りの貢租徴収をしたことについて、禁止を徹底したものであった。この時に、ジロンド派が領主権を守ろうとして奮闘したという記録はない。ジロンド派が守ろうとして失敗した政策は別にある。
くどいようだが、もう一度確認すると、領主権の無償廃止はジロンド派が推進したものであり、当時は彼らがジャコバンクラブの指導権を握っていて、「ロランの党派、ブリッソの党派」と呼ばれていた。ブリッソはパリ銀行業界の代弁者だと思われていたから、内務大臣ロラン、外務大臣ブリッソ、これに銀行家クラヴィエールの財務大臣を加えると、ジロンド派政権はブルジョージーのむき出しの権力と思われていた。このブルジョア政権が「領主権の無償廃止」を実現した。
このようにいうと、多くの社会科学の学者が、自分の足元が崩れていくことを感じるのだ。あるものは黙り込み、不機嫌になり、ヒステリックな反論をした。無視、絶縁、排除の試みもあった。世界的な誤解を正すのだから、、それくらいのリスクはある。
さてここにまだ続きがある。ジロンド派の政策に賛成の貴族もいたという事実である。しかも大貴族がである。トップはオルレアン公爵ルイ・フィリップ、この時期、「フィリップ・エガリテ」と呼ばれた。日本では「平等公」と翻訳されるが、「公」をつけないことになったので、エガリテすなわち平等という言葉にしたから、正確には「平等」と呼ぶべきである。国王に次ぐ大領主、王族の一人、財産は握りながら、、平等だといって革命に参加している。それ以下、コンドルセ侯爵、シルリー侯爵、その夫人ジャンリ女性伯爵(伯爵領を女性が相続していて、作家として有名)、その他多くの貴族が参加していた。
これを見ると、日本の明治維新で下級武士出身の官僚が政権を運営したから、保守的封建的だという理屈は崩れる。「フランスも負けず劣らず、保守的、封建的だぞ」、「それでも市民革命なのだ」といえばよい。
これで私が18歳の時、最初の授業で隣の座席から聞こえてきた声「それで日本社会の封建的性格ですが」という質問に対して、「それを言うなら、フランスも封建的ですよ」と言い返しておしまいになる。答えは単純なのだが、ここに行き着くまでに、十数年の研究が必要であった。
ジロンド派が領主権の無償廃止を実現した、これを基本理論として、近代市民革命の理論を再構築してもらいたい。そうすると、フランス革命の1789年ー1830年に対して、日本革命の1868年ー1871年が対応することを承認できるでしょう。

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