鳥羽伏見の戦いが、バスチーユ占領に相当する

世界史的にみると、鳥羽伏見の戦いが、、フランス革命のバスチーユ占領に相当する。その根拠とは、土地所有の上に立つ権力を、実業の上に立つ権力に置き換えたからである。前者は貴族、日本の武士、外国では「サムライ」で通用するが、これは誤訳である。サムライは下っ端であり、そのうえに立つ大名こそが重要だからである。
後者について、フランス語では、「オム・ダフェール」、定冠詞をつけて、「ロム・ダフェール」という。実業の人という意味。英語でいえば、「ビジネス・パーソン」、「ビジネスマン」である。商業、金融業、貿易、運輸、工業、、、に携わる人たちのこと。時代とともにその形態が変わるが、百数十年前なら、大商人、大金融業者が主流であった。
それぞれの根拠地は、フランスのヴェルサイユとパリ、前者が貴族(土地)、後者がブルジョアジー(実業)の根拠地、日本では、江戸(土地)と京都、大阪(実業)の根拠地になる。日本の場合、もう少し複雑で、京都は三井の本店があり、かつ朝廷があったが、これは西洋社会のローマ法王領に似ている。宗教的権威を持つからである。
バスチーユ占領は純粋の防衛戦であったが、鳥羽伏見の戦いは、幕府側の主力軍の壊滅という性格を持っていた。パリが抑圧から解放されたという意味で、パリ祭があるが、日本にはない。フランスでは新時代の頂点に、前時代の国王を持ってこようとしたが、日本では、約千年前の伝統に戻るという形をとった。
パリではブルジョアジーが支配した。ただし、形式的には、ラファイエット侯爵を頂点に担ぎ上げた。日本では、天皇、皇族、上級公家、岩倉具視(下級公家)、諸大名、など雑多な集団を並べて、実権はその下、下級武士出身の指導者と大商人の同盟が握ることになった。
下級武士の軍団は、すぐに江戸に向けて出発する。つまり、新政府から遠く離れたところにいることになり、新政府に影響を与えることができない。残された新政府とは何か。これが問題。ズバリ答えを言えば、当時の「オム・ダフェール」である。
三井がその代表格である。西郷隆盛が、討幕戦の資金源に結びつけた。大山巌など薩摩藩士が、金を受け取りに行った。三岡八郎(由利公正)が会計官になり、小野組の小野善助に協力を求め、出資させた。大Ⅼ隈重信は、鴻池、住友から出資金を出させて、政府に入り、会計官の『副』の地位に就いた。彰義隊討伐の軍資金を持ってきた。
こうして、新政府の官僚と大商人の融合が始まった。この勢力に対抗する集団はどこにもない。だから明治政府は「オム・ダフェール」支配といえる。本質論で議論すると、フランス革命と明治維新は同じとなる。

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