「記憶能力は年をとっても増強できる」、で老後の人生が大きく狂う。

少なくとも私は、「記憶力は20歳代までに増強され、それをもって大人の人生を送り、60代から下降に転じる」と思い込んでいました。「60の手習い」、これは自己満足だけで、ものにはならない。まして70以後のことは「子供のお遊びと同じ」、話にならない。「次第に脳細胞は死滅し、ただの人になる」。特に、一時記憶の能力が急降下し、昔のことだけは覚えていて繰り返す。「老人は嫌だね」。
自分が老人のくせに、こう思っていました。ところが、「海馬の記憶能力は増強が可能である」との文章を読みました。「なんと、ところで、その海馬はどこにあるんじゃ」。側頭葉をはがしたその奥にある。タツノオトシゴのような形をしている。一時的な情報はそこに蓄え、そこで整理して、捨てるか、永久記憶の場所に送り込むかを決めている。
それが年とともに萎縮していくと、記憶力は衰えるが、そこまでは今までの常識で、今わかったことは「海馬は増加もありうるところである」。この一点が今後の健康長寿にとり決定的に重要なものになった。とはいっても、どれだけの人がそこに気が付いていることやら。
この新しい解釈からすると、「図書館に行く人が、健康長寿を達成する」という、前回ブログに書いた内容が、「それ見たことか」といいそうな感じになる。以前の解釈だと、「頭が衰える一方だのに、何を無駄なことをしているのか」となるだろう。
いつまでも好奇心をもって本を読む。知識を一時的に蓄える。それが全部消えるのではなくて、ある部分蓄えられる。それに応じて、海馬の容量も増加する。これはよいことではないか。その逆を考えてみよう。それはすべてにおいて意欲が減退し、海馬が委縮し、精神の働きが鈍くなり、つまりは老衰を早める。
こう思ったときに、私などは、「碁をやっていてよかった」と改めて思い直した。「やりすぎて壊す」のはよくないが、壊さない範囲で勝とうとする意欲を発揮する」、これは海馬の増強につながる。「よし、やろう」という思いになって、今日は、下手に置き石を増やさせ、私は全力で勝とうと努力をして来ました。今までは、遊びで負けてやってもよいという、だらけた気持ちで、いい加減に打っていました。「老人のカルチャーだからな」、これが自問自答、今日からは、「いかなる下手相手にでも、自分の海馬をしっかりと働かせよう」。こう思うと、目がぱっちりと開いてきたような感じです

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