自分の持っている音域で歌う

特に退職後の男性、沈黙の中で生きていると、歌わなければ、誤嚥性肺炎になるという意見、これは常識になっています。今すぐ歌いましょう。
とはいっても、ここに一つ、危険が潜んでいますので、今から、ある解説をします。まだ、だれも指摘していないことです。話は、明月赤城山を歌うことから始まります。
この歌、音域が広い。クラシック音楽と比較しても、これ以上となると、さあどうかなというくらい。東海林太郎さんの歌う曲が有名、透き通るような高音から降りていきます。下はド、シ、ラのラまで、うえはド、レ、三、ファのファまでです。カラオケテープにもこれがあり、昔から持っています。
そこで今、これを標準としましょう。当然、だれもがこれで歌うものと思っています。ところがです、多くの人が高音げひっかかります。出ない。ヒーツとなります。これでやめてしまう。悩みます。音楽の先生につくと、「訓練すると出るようになる」、「OOOという歌手は三オクターブ出る」などという言葉で、激励される。そこで、努力をする。根性論は日本人の好きな言葉、低音も、高音も、この調子で努力する。こういう努力を数多く見てきました。これは危険で、見当はずれの努力である、こういいたいのです。では歌手が本当に高音も、低音も自由自在に出しているのか。これが以下の論証です。
以下、姓だけにします。田端さん、三橋さんが標準、春日さんが半音低い、藤田、都、五木、鶴田さんが一音低い、島津さんが二音低い、美空さん、天童さんが三音半低い。
高い方では、氷川さんが半音高い、そして、素人ではあるが、この私がさらに半音高い水準で歌いました。ユーチューブにアップロードしています。これ以上はありません。
ここで自慢をしているのではありません、有名歌手でも、自分の持っている音域を超えて歌うことはないということです。ある女流歌手が、「ミ」の音を出した後、「出ました」とと感激していました。つまりこれは彼女にとって、必死のチャレンジであったのでしょう。
というわけですから、素人の私たちは、出せる音で歌う。無理はしない。努力は、毎日歌うことにつぎ込む。これでよいのです。

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