行きはよいよい、帰りは恐いの末期がん告知

4月13日頼まれた牛肉を持って帰り、洗面所で顔を洗っていると油の焦げたにおいがする。キッチンに入ると、肉が黒焦げになっている。それに野菜を入れて、「はい、焼き肉ができました」という。私は野菜だけ食べて、残した肉は、そっと隠して捨てました。もちろん、この程度のことは、日ごろなら見破られます。しかし、知っているのか、知らないのか、それがわかりません。
4月14日、突然、夕食の宅配を注文しようと妻が提案しました。「これからは、じっとしていても食事が出てくるということは終わったのよ」といいました。妻の死後、この言葉を思い出して、身に応えています。
4月19日、大学病院に、二人で検査の結果を聞きに行きました。その直前、かかりつけ医に「これはがんではない。こんな早い症状はがんではありえない」といわれました。体重も減ってはいない。「がんになると、やせ衰えるというではないか」。すると、「まあ、腎臓を一つ摘出する手術で解決か」、「それならまだ十年は生きられる」。こういう楽観的な気分で行きました。
大学病院では、採血があり、全身のレントゲン検査があり時間がかかりました。患者がほとんどいなくなったころに呼び込まれました。対面した医師は、今までの主治医ではなく、初対面の医師でした。
「腎小細胞がんといいます」。「ㇼパ節と脳に転移して、小脳と大脳の右上でむくみができています」。「がんのステージは4です」。「早ければ数日後、遅くても数か月になります」。「治療方法はりません」。「不思議なことにこれは肺がんから来るものですが、肺がんはない。僕も初めてで、よくわからないのです」。「がんの勢いが強いからか、生命力が衰えたからか、それもよくわかりません」。
「ガーン」ときました。二人で茫然、先生は早く帰ってくれと思っているだろうなとは感じるが、腰が上がらない。必死の力で立ち上がり、帰ってきましたが、亡霊のような状態であったろうと思います。
「ひどいじゃないか。ステージ1,2,3はどうなる。いきなり末期がんだなんて」。こうわめきたくなりますが、閻魔大王に向かってわめいても無駄だなあと思います。「ああ!」。帰り道、食欲はないけれど、何か食べなければといって蕎麦屋に入り、おかめそばを注文しました。食べながら、「おかげさまで、楽しい人生を送らせていただきました」と妻が言いました。これが別れの挨拶だったのでしょう。

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