高齢者の努力はがんの危険性を高める

私の妻は80歳私で死亡しました。これを惜しいと見るか見ないか。本人は不満でした。女性の平均年齢には達していません。もう少し生きられるはずだといいました。87歳を念頭に置いています。また周囲の同年配の女性たちは多く生きています。生きる姿については、本人のほうが自信を持っていました。
まっすぐに立って、元気に歩く。病気はしない。歯は、全部そろっている。健康体操の先生をしているだけに、身体的能力は抜群。「だのになぜ、私が先に」、「これでは示しがつかはい」。こういう意味の悔しさを口にしました。
これについても私は考え続けました。「健康法を実行する人は、長生きする。それを教える人は長生きしない」という文章を読んだことがあります。「高齢者が働き始めると、がんが多発する」とは、数日前の新聞で書かれていました。
もし、健康体操の教室で、一会員、一生徒として通っていたならば、どうだったろうか。もっと長生きしたかもしれない。その代わりり、達成度は低かっただろうし、その面での限界があったのかな。こんなことも考えました。
例えば、生徒ならば、腰がまがっていても、猫背でも良いが、先生ともなればそれを矯正しなければなりません。その努力は大変ですが、達成してよくなれば、健康の取っては良いはずです。それなら先生のほうが良いはずで、その先生の方が短命といいうのはこれ如何に。
この問題をどう解くか。よい先生といわれるためには、一教えるときに、十知っていなければならない。つまりはひと知れず努力する必要があります。その努力が問題ではないか。「才子多病」という。才子が生まれつき弱いのか。そうではなくて、才子と呼ばれるようになるための努力をすれば、だれでも弱くなるのだ。この努力を高齢者になってからすると、がんにかかって破滅的になります。これは、私が碁の世界で、4段、5段、6段と上昇する努力を高齢者になってからすると、がんにかかるという観察をしているからよくわかります。
その水準の努力を私の妻はしていました。体だけではなく、知識の面でもです。70歳を越してからです。そして達成をしていました。千人に一人、一万人に一人、いやもっとかもしれない。その達成感は幸せなものだったでしょう。だから、止めようなどという考えは起きないものです。しかし、今思えば、これが「燃え尽き症候群」ともいうべきもので、ストレス過剰、免疫力急降下を招いたのではないか、このように考えています。この問題、人生をもう一度やり直すとして、止められるものかどうか、「やはり止められないだろうな」と首を振るだけのものです。

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