2・26事件は何をめざしたものであったのか。

2019年8月15日、16日に放映されたNHkの2・26事件についての実録は、大いに参考になりました。特に海軍の素早い対応は、なるほどと思いました。しかし、気になるのは、ナレーションの部分で、断定的に、青年将校の目的が「天皇中心の政権を作ることを目指し」と解説しているところです。これは、アナウンサーがこう読めと言われて行っていることで、原稿を書いた人の考えのとおりであるはずです。
だから、だれかを批判するつもりはありません。
しかし、この原稿はおかしいのです。この事件を鎮圧した軍部の指導者は、天皇中心の権力を強めて、戦争に向かうという言い方もしています。「どちらも天皇中心を目指すならば、なぜ片方が相手を鎮圧する必要があったのか」。「そうだ、そうだ」といって、お互い仲良く手をくめばよいではないか。しかも、天皇は初めからこの事件に反対だったという。自分を立ててくれるのに、なぜ反対なのかな。
さっぱりわからん。これは今日に始まったのではなく、昔からこうなのです。
ズバリ結論を言いましょう。事件は、戦後の日本社会のようなものを、約十年前に実現しようとした改革運動であったのです。鎮圧によって、改革運動は失敗し、アメリカ相手の大戦争で敗北し、占領軍が敗戦国の責任者を処罰するために行った改革が、2・26事件の目的と一致したのです。
財閥解体、農地改革、華族制度の廃止、などです。
特に財閥解体が最も重要でしょう。「財閥権勢に奢れども、国を憂うる力なし」と、昭和維新の歌ににあります。ご存知、三井、三菱、住友、安田です。その中心は東京駅の前にある日本工業倶楽部、日本経済連盟、団琢磨、こういえば日本史を少し勉強した人は分かります。
青年将校が攻撃したのは、このグループに属する人たちであったのです。それを正当化する書物は、北一輝の書いた「日本国家改造法案大綱」でした。だから、彼は民間人であったにもかかわらず、銃殺されました。
陸軍上層部は、一時期、事件に同調して、何かをしようとしました。中堅将校にその動きが強く、上層部は、あわよくばそれに便乗しようかという動きを見せました。これは、彼らの背後、支持者に新興財閥があったからです。その最大のものは日産、中島飛行機、です。しかし、内戦よりは、緩やかな改革で、旧財閥のなかに割り込もうとしました。それが、その後の政局を左右しました。結局、改革よりは戦争をとなりました。現代でも、そういう方向をたどろうとする国があるでしょう。

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