2/26事件の裏話。

この事件、表の話ばかり見ていても、隔靴掻痒の感ありで、じれったいばかりで本質がわかりません。ことの本質は裏に隠されている。今日はその裏の人物に焦点を当てましょう。昨日は北一輝の名を挙げました。しかし、彼が改革案を書いたのは、ずっと以前、孤独の中で書いたものでした。当時は今のように本が大衆的に売られるという時代ではありません。だから人に知られないままに過ぎていきました。
さらに、軍隊の中に思想を広げるというのは、至難の業です。ここに、西田税という退役軍人が登場します。彼が、北一輝の思想と改革派青年将校とを結びつけます。だから、この二人は事件の後銃殺されます。ただし完全に一致しているのかどうか、西田が「天皇陛下万斉」といったとき、「それはやめておこう」と北が言ったという。
武力を持つものと、思想(方針)はできた。あと足らないものは、「軍資金」だけでしょう。西田は久原房之介のところに出入りしていました。ここでこの人物が浮上してくるのです。この人物のことを書けば一冊の本になる。私も若いころから注目していて、資料を集めたが、ついに実現することができませんでした。
今の日産、日立製作所の前身を作った人物です。明治の元勲から一世帯遅れてやってきた。第一次世界大戦で成金になった。母の為に、六甲山の山頂から、パイプラインを弾いて、涼風を家の中に引き込んだ(天然冷房)で有名になりました。桂太郎(元首相)が貧乏大尉のころ、政治家に育てるため、資金的な面倒を見て、「夕暮れ時、桂の台所を覗いて、鯛を投げ込んだ」という話も残っています。しかし、なぜか西園寺公望に嫌われます。元老、天皇の親戚、歴代内閣の人選を天皇に進言する立場でした。「田中内閣は良いけれども、久原ごときを大臣にしないという条件だ」、とまで言われた。ついでながら、西園寺は住友財閥の当主と血縁関係にありました。ここに、四大財閥と、新興企業家としての久原の対立がみられます。
だから「久原がいたずらをする」という言葉が、西園寺の口から出ています。敵は敵を知っているのです。しかし確証がない。事件の後、久原は追及されませんでした。久原を「洗っていた」検事は、田んぼの中で頭を突っ込んで死んでいました。ただし、それなら、久原、日産が青年将校一辺倒かというと、そうではありません。それはまた次回に。

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