前世の因縁か、百万分の一の確率か。

これは二、三日前に起こった不思議な現象で、これを死ぬまで、あるいは死後も引きずっていくことになるであろうというものです。私個人の問題ですから、書かなくてもよいといわれるでしょうが、徒然草にある、「物言わぬははらふくるる」ものでありますのでから、書き残します。
妻の死後、四十九日の法要と納骨式を無事終わりました。青山墓苑でした。解散となり、何気なく歩き始めた時、妹が、「あれ、小林家の墓がある」といいました。振り返ると、確かに大きな墓石が立っている。小道を挟んだ反対側です。「あれ!同姓ではないか」と感心していると、「隣は、母の旧姓横田ですよ」といいました。つまり、小林、横田の大きな墓石が、妻の遺骨見下ろすように立っている。父は小林毅郎、母は旧姓横田久美といいます。
この時、私は一瞬背筋が凍るような感じで、「寒い」ような感じに襲われました。実際は、猛暑の日中でした。
暑いときにお化け屋敷に入る、あれの効果ですね。私が妻の遺骨に手を合わせているとき、その姿を後ろから、父母の亡霊が「呆然と立って」後ろから見つめている、つまり墓碑がそのように見えました。「見られていた」を言う実感に襲われました。
慌てて、その二つの墓碑に手を合わせておきました。親族の人たちは、それ以上の感慨はないようでしたが、私には、この効果は強烈なものでした。他人の墓石とはいえ、両親そろって並び立つとは!「これは偶然だろうが」、「こういう偶然はあるのだろうか」、これを、今でもぐるぐるやっています。母が昔「お前の行くところは、どこへでもついていくよ」といいました。その時私は「まあ、私のほうがお人よしだからな」ぐらいに思っていましたが、「実際にやってきたのではないか」などと思い出しました。
もちろん、事実としては、弟に跡を継いでもらって、故郷を去りました。妻も同じく、故郷から出ました。だからそれぞれの親族は故郷に眠っています。妻の納骨に際して、「しばらくは一人で寂しいな」、「迷うなよ」と思いましたが、今は「三人で仲良くやってくれ」という心境に代わってきました。「どこのどなたかは分かりませんが、私の両親が間借りをしているようで」という挨拶をしたくなりました。こういうのは、どれくらいの確率でしょうかね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


前の記事

2/26事件の裏話。

次の記事

市民革命以前の中国