コロナ社会は個人主義で乗り切る。

コロナウイルスの出現で、人々の生活習慣、価値観は大きく変わる。変わらないと生き残れない。今までよいこととして努力してきたことが、思えばあれが悪かったとなる。
集団主義、人と人とのつながり重視、そこにコロナが入り込んだら、致命的。宗教的礼拝、これが最たるもの。誰も言わないけれども、私はミラノの大聖堂(ドゥオーモ)を思い出した。身動きできないほどの大群集、司教さんが何かを言うと、「サンタ・マリア」の大合唱になる。それを何時間でも繰り返している。建物は大きくて、上部に空間はあるけれども、人間が多いもので、息苦しい。
そういう思い出を持っていたので、ミラノがコロナ関連で話題になったとき、『ああ、やっぱりあれが』と思いました。そう思ってみると、韓国の教会の事件がそうでした。これは新興宗教だから違う側面もあるのかなと思っていると、今度はアメリカの教会での集団感染が出てきました。
閉ざされた空間で、多人数の集団が大声を上げるのが良くないのです。この時の音は「あ」が多い。口をいっぱいに明けて声を出すと「あ」になる。次に「お」です。祈りの言葉は、この二つが多い。こうして、お祈りをしていると、空気をいっぱい吐きだします。次に吸い込む必要はない。意識しなくても、空気は入ってくる。つまり無意識の深呼吸をしているのです。これが本来は健康に良いとされている。
これはどの宗教でも同じこと。この数千年、数万年の伝統が、コロナの出現で悪いことになってしまった。「集団でのお祈りは危ないよ」ということです。お祈りは個人でしなさいということになります。
この考え方を、その他のことに広げましょう。一人カラオケの薦め、孤食の薦め、(これは江戸時代の武士社会では当然のことでした)、(明治、大正、昭和初期でもその風習は残っていた)、一人体操の薦めなどです。夫婦の寝室は別にする。不可能な時は離れて寝る。川の字で寝るのはだめ。
はぐ、キス、握手はだめになりましたが、代わりに手足を使う工夫もされています。しかし弾みに口が接近する。日本流の頭を下げるのが良いようですが、下げたはずみに口が接近する。そうすると、軽い会釈が良いのかなと思ったりします。
ワクチンが開発されるまで、この不安定な状態が続きます。身近な人でも、明日は病原体になるかもしれない。もちろん自分も。全員がこういう警戒心を持てば、流行が下火になるのでは。それと並行して、早く経済を元に戻してはどうか。

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