背骨の後ろ反り・続・至難の業だが簡単

背骨の後ろ反り、ヨガの行者でも年が行くと意のままにならぬというもの、どうもこのあたりが生命の限界ではないかと思います。上から下まで、背筋を丸めて亡霊のように立っている。特に日本人に多いように思うが、これはいくつかの間違った信念によることも大きい。「腰が低い」は立派だと思われる。お辞儀が浅いと傲慢と思われる。目上の人には腰をかがめないといけない。偉くなっても、「稲穂は実れば実るほど首を垂れる」などという。
実はキリスト教徒にもそれに近い話があります。敬虔な信者が、「神の前に謙虚であれ」といわれて、「いつも首を垂れています」という。ある時首筋が痛くなって、病院に行っているという。「下ばかり向いているからでしょう」というと、「そういえば、シスターたちも首の治療にかよっています」という。「反対の動きもしなければ」とは言ったが、「それは傲慢」という反論が来るのは目に見えている。そこでとっさの間に思い付いた。「教会、修道院の壁画、天井画に、昇天を仰ぎ見て手を差し伸べ、背中をそらせている天使や信者の姿があるでしょう。神をたたえるために、背中をそらしてもよいのでは」といいました。しばらくしてから再会すると、調子が良くなったといっていました。
同じようなことは日本古来の伝統にもあります。ある高僧の像が、背中が丸まっています。日本中どこにでもあります。しかし若いころの像を見ると、まるで力士のようなもので、「これでなければ偉業は達成できない」と思います。晩年背中の腫瘍で苦しんだ方ですから、こうなったのでしょうが、これを模範にしてはいけません。
さて、目標はどこか。これは、小学生のころに、先生から「後ろの地面が見えるまで」といわれたでしょう。ラヂオ体操にもあります。これができればよい。しかし中高年、今更できるわけはない。背中が折れる。今ある状態から少しでも近づく。十年、二十年がかりで、理想の半分になれば上出来です。私は中年のころに気が付いて以来、85歳まで、毎日欠かさずしています。はじめはタオルケットを丸めて背中に当て、その上にあおむけになって、じっとしているところからでした。すこしづつずらしていきます。確かに気持ちがよくなります。
そのうち座布団重ねたり、折ったりして高さを高めていきます。何年かして、ソファーの肘を利用しました。今は椅子を使っています。このために開発された道具も売られています。いろいろ試すのはよいことですが、くれぐれもやりすぎないことです。いた気持ちが良い状態は、この場合は避けてください。やりすぎて故障を起こしたら大変です。「気持ちの良い程度で、毎日」これが基本です。

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