よくぞ囲碁をしていたものだという感慨・続

よくぞ囲碁をしていたものだという感慨から、「やはり若いころからでないとね」という言葉が出て、周囲を気にして小声になった。60から、70からという人もいるので、そこは碁会で気をつかわなければならない。「高段者になるのは無理だ」という意味にしておいた。
この会話から、いろいろと連想が始まった。「それにしても、運というか、出会いというか、霊的な作用というか、いったいこれは何だろう」と思い始めました。というのは、私18歳になったばかりで東大の駒場寮に入り、すぐに碁を始めさせられました。全くの初心者、ただ一つ、叔父が碁を打っていて、碁に伴う言葉を大きく連発していましたから、耳には入っていました。「とにかく切っておけ」、「あたりあたりはへぼ碁の見本」などといっていました。しかし父は、「遊び人にはなるな」といっていました。碁を打てば遊び人と思われるだろうなとも思っていました。そこでまずは打たないという方向でした。
ところが、私の部屋に、4,5人の先輩がいて、碁盤、碁石が3人分くらい置いてありました。大部屋で、廊下を挟んで一対になっていました。授業が終わるとどやどやと学生が入ってきます。ぱちぱちと始めます。今から思うと、これが東大囲碁部の源流です。部室がなかったから、こういう間借方式でやっていたのです。そのうち、相手がいない人が新入生に声を掛けます。「知らないから」と断ると「教えるから」と食いついてきます。これでほとんどの新入生が引っ張り込まれました。そのうち、「小林は素質がある。気が強い。石の並びが芸術的だ。それで詰碁を勉強すればたいしたものになる」といわれましたが、そのころに、笹田という高段者が私を熱心に引っ張ろうとしてくれました。この人は、当時25歳私より7歳年上、軍隊帰り、元木谷道場の弟子、戦後浪人して東大入学という経歴を持っています。一度、平塚の木谷道場に連れて行ってくれ、帰りに彼の鎌倉山の実家に泊めてもらいました。
それから数十年たち、私が家を作ったのが、その近くでした。しかし私は現役時代碁を打ちませんでした。そのため、笹田さんのことは遠い過去のようなもので、縁があるとかないとかは考えることはありません。
ところが、2年前、鎌倉山の教養センターで碁を打っているとき、横で観戦をしている人と偶然言葉を交わすことになり、笹田さんのことを話題にしたところ、「実は私の隣が笹田さんの家で、そのお母さんにかわいがってもらいました」などといいます。「私もそのお母さんに朝食をいただきました」という話になりました。67年前のことですが。そのころから、笹田さんの霊に引っ張られて、鎌倉山の碁会をうろうろしているのかなと思い始めました。
今年の11月、やはり67ぶりに東大駒場に出かけ、昔の寮の跡に建てられた建物で、偶然打った碁の相手が、私と同じ小林君で、棋力も同じ、体型もほぼ同じ、感じも似ていたように思います。いったいこれは何だ。輪廻転生ではないか。半ばショックを受けました。
確率としてはあり得ないことが起きる。「そういえば、あれもこれも」と急に思い起こされてきます。
パリで、学生食堂の席にすわり、目の前に、ボナパルト君がいたことです。お互いよく似ていると周囲も言いました。「実は私はあだ名をナポレオンといわれていました」と私が言うと、「ほんとによく似ている。私も彼の一族です。コルシカに帰ると、名家です」などといっていた。
今私が一番気に入っているピアノ曲はショパンのノクターン作品21番遺作です。自分で弾くとき、言うに言われぬ感激をします。はらはらと涙がこぼれそうになります。これは長い間、彼の作品かどうか、議論がありました。やがて、、パリのロートシルド家にあった遺稿が発見されて以来、これが正式に認められました。実は私もこのロートシルド家に案内されていったことがあります。ここでもらった資料で論文を書いています。私もショパンとの接点があるわけだ、こう思うとなんだか嬉しくなってきます。

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