囲碁は石取りのゲームにあらずを頭にたたき込む

先日鎌倉山囲碁クラブで、日本棋院で初段をとってきましたという人と打つことになりました。すでに40回くらい打っているでしょうか、3回くらい負けています。ほとんどが中押し勝ち、負けたのは、なめ切って、盤面を見ないで打ったところ、大石が狙われていて、打った後しまったということになり、ひと目だけでとられてしまいました。「そこはさえている」という思いでした。
そこで、今度はいしがおおきくなったときだけ、いき、しにだけを「ちらっとだけでよいから確認する」と自戒して、打ちました。そうすると、常に、数十目の差で勝つことになりました。驚いたのはその時の、相手側の反省です。
「白石をとらなければ勝てない」、「えー」と思ったのですが、「さもありなん」とも思いました。確かに、私の石が早生きをすると、別人のように相手が弱くなります。つまり、もう何を打ってよいかわからなくなるらしい。碁の目標がそれだから、目標喪失型のうつ病のようになってしまうのでしょう。本人もそれを自覚しているらしい。
私は、「碁は石取りのゲームではなく地取りのゲームでしょう」、「その原点に立ち返ってはどうですか」といいたかったのですが、何も言わずに帰りました。というのは、碁会にはこういう人が多いからです。思えば私も、5段までは、このような調子で、3目置いた相手の石をだまし討ちのような形でとってしまい、「虎を罠にかけた」などといって喜んでいました。これをやりすぎて、相手から「何やっとんな」、「あなたの考えていることは分かっています」、などといわれました。それを思い出すようなことを、7目置いた人がします。
内心あきれ返りましたが、さらにそれが、「白石をとらなければ負ける」となると、私の方が考え込みました。「7目も置いている碁ならば、地をとるために打つ場面は何度でもあるでしょう」といいたかったのが本音です。しかし、相手は、「二手打ちならば白石が取れる」、と思うと、それを打って、相手がうっかりすることを期待します。邪道ではありますが、意外に多い。こういうところから脱却するのが上達への道なのでしょう。

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