高齢者のカルチャーは認知症に注意

前回は囲碁の中で認知症にかかりやすいことについて書きましたが、これは一般論として、すべてのカルチャーで、60過ぎてから猛烈な努力をしたときにかかりやすいものであることに気が付きました。昔から、中年すぎてから何かをするとき、若いころにしたことの延長になるようなものをせよという教訓がありました。今は、食、住の環境が良くなって、いつまでも若々しくしていることができるので、そうした配慮が必要なしと思われています。「いつからでも、何歳からでもできます」、これがすべてのカルチャーに共通の答えです。
「果たしてそうか」、「危険はないのか」、じつはあるといえばあるので、無いといえばないのです。「60の手習い」という言葉があります。意味は、「ものにならないです」。だから、楽しんで、健康に過ごせるのです。そこを、「負けるものか」、「メダルが欲しい」、「○○で一直線」などと突き進むと、ある時頭がおかしくなる。
囲碁の初心者で、6級くらいの人に出会いました。会社では、人の碁を見ていただけ、打ったこともないといっていました。それから7,8年再会した時は、2級くらいになっていました。つまり4目分上達したことになり、6級の人に4目置かせて打っていました。そうなると、立派な先生です。女性の弟子もつきます。薄化粧をして、口紅をつけてきます。彼は85歳、彼女は60歳くらいです。ほほえましいと見ていましたが、こうなると、「せめて初段」といいだします。猛烈な努力になります。ここで、前に列挙した症状が出てきました。「彼も力尽きたか」、「惜しい」、「もう少し減速をしないと」、これが感想です。
努力で頭が狂うのは、出発点の能力には関係がないのです。6級でもなる、初段でもなる、4段でもなるのです。問題は伸び率です。大体10年で4目、4子局、これが目安かなと思います。碁は石数一つで実力が計算できます。他のカルチャーでは、そうもいかないことがありうるので、そこは応用問題として、このあたりと言う水準を決めるとよいでしょう。努力はそのあたりを限度とする。
これを理解するために、もう一つ「知恵熱」という言葉を追加します。これを何気なく笑って話題にしていましたが、思えば「成人の知恵熱」が続いて脳が壊れたといってもよいでしょう。脳の働きで、最大のエネルギーを使う。ここを酷使することは危険です。
私は今後増えるであろうこの認知症について、警鐘を鳴らしているのです。ここまで書いて、ふと「君はどうなのかね」と自問自答しました。70歳で4段相当の出発、ここまでは18歳での到達水準、86歳で8段相当、「危険水準ではないか」、突然「他人ごとではないぞ」という声が聞こえた感じです。呉清源の「店じまい」を人生にも広げる必要が出てきたか、こう考えて、目の前に広げていた碁の本を片付け始めました。

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